ちりやま日記

ドイツで子育てのあれこれ、本やドラマや動画の感想等を綴っていきます。

今日の良かった探し

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私は娘を結婚して9年目に不妊治療で授かった。

新婚当初、私は子宮内膜症で手術をした。夫はまだ子供が欲しくなかったので、当時は私もそんなに焦らずに過ごしていた。

それから2年後に今の街に引っ越し、ドイツに来て初めてドイツ語を本格的に学び、更にこちらの大学に通うようになった。

子供がいなかったし時間が充分あったから、と書いたら怒られてしまうかもしれないが、これは本音だ。だから小さな子供を抱えながら大学生になっている人を見ると、それだけで尊敬してしまう。

とはいうものの、やっぱり子供が欲しかったので、夫と沢山話し合い、妊活を経て、いよいよ不妊治療に踏み切った。

大学を卒業する頃、やっと娘を授かれた。

誰もが反対する中、娘を妊娠中に卒業試験に挑んだ。いうならば、娘は私の口頭試験の内容を胎教に聴いていたと言っても過言ではない。

 

娘を出産した頃の育児法というのは、自己肯定感を高める為に、子供のやった事を認めてあげる、受け止めてあげる方が良いというものだった。

私が結婚する時に買って持ってきた育児書は若干古く、当時は「沢山褒めて育てる」のが主流だったようだ。時代によって、色々違うのだなと思ったものだ。

自己肯定感が恐ろしく低い自分の元で、果たして自己肯定感の高い子供に育つのだろうか。そんな不安もあった。

娘は36週で破水して、そのまま出産となったので、未熟児として生まれた。

なので、生後3週間目に生死を彷徨った経緯がある。

また呼吸をするのを忘れてしまう時もあり、散歩に行って、ベビーカーを覗いてみたら、無呼吸症になっていたりと、かなり長い間、気が抜けなかった。

私と夫以外には絶対に懐こうとせず、義両親に預けるなんて不可能だった。

母乳を受け付けず、生後3ヶ月でミルクっ子になった。離乳食となると手作りは食べてくれず、ベビーフードを好んで食べる我が子を見て、益々自分に自信がなくなっていった。

 

それはさておき。

 

今でも時々、就寝時に、子供のその日の良かった行動を発表している。

毎日だと本当にありきたりで、いつも同じ内容になったりするし、傍から見ると、普通なのだが、とにかく私から見て、

「良かった」

と思う事をできるだけ多く見つけて口にする。

その時に、これをしてくれて嬉しかったと感想を述べてみたり、お礼を言ったりもする。

特にどうしても怒ってしまいがちになる倅には、自分にも良い所があるんだと気付いてもらいたいという想いもある。

 

去年の誕生日に、娘がお返しに『今日のお母さんの良かった所』を発表してくれた。

あまり期待していなかったが、小さな事でも教えてもらえると嬉しいもので、何だかとても照れ臭かった。

たまにはこういうのも良いものだ。

 

 

 

 

確かに思い出は美しかろう。

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巷でよく耳にする断捨離やらミニマリストには程遠い生活を送っている我が家だが、夫は特に物を大事にしすぎる傾向がある。

着れなくなってしまった服や使わなくなってしまった玩具、壊れてしまった大きな家具も、我が家に点在している。

ちっとも読まない雑誌も埃を被って積まれている。

大抵が、

「いつか時間ができた時に、読むから」

とか

「いつか痩せた時に着るから」

とか、そんなものばかりで、ちっとも現実に伴っていない。

 

もう使わなくなった服や玩具はフリーマーケットに持って行き、雑誌や新聞紙は、内緒で少しずつ処分する。幾ら買うなと言っても、買ってくるのだから(読まないのに)仕方がない。

 

また夫も私も本が好きで、家の本棚も溢れ返っている。

子供も本が好きだから、そんな子供の為に、夫はせっせと本や雑誌を買ってくる。

私は帰国中に本を買うが、大量には買わない。厳選して吟味して、ドイツに持って帰っても繰り返し読むと決めたら買うようにしている。

 

私の中で、ドイツは物を大事にする国という印象が強いのは、教科書は学校からの借り物だからだ。これはどうやら旧東ドイツはそうではなかったようだ。

という事は、旧西ドイツからの風習であろうか。

娘が小学校に入学する前に本やネットで事前に調べて、学校の教科書は借り物となるので、一年後には学校に返さなければならない。もし破損などあろうものなら、弁償せねばならないという情報を仕入れて夫に話すと鼻で笑われてしまった。

「そんなふざけた事がある筈がない」

いざ入学して現実を見ると、夫は閉口してしまった。

1年後、教科書を返した際に、娘が使った本を次に使う予定の子供の親が念入りにチェックしたようで、全額弁償をさせられてしまった。

「他にも男子が2名ほど何割か弁償をしたが、全額弁償は娘さんのみでした」

と担任に言われ、顔が赤くなったのを覚えている。

とにかく、物を大事にする国だと痛感させられた。

日本は教科書を頂くようになるので、自分でマークしたり読み仮名を振ったりと、自由に使えるのがありがたい。因みに日本の教科書はランドセルに入れて屋根裏に保管している。

 

さて物を大事にするのが大好きな夫は、連絡帳や子供のノート類も全て保管しておきたいらしい。特に連絡帳に至っては、最重要項目らしく、口酸っぱく言われ、正直うんざりしている。

子供の作品は一番良い物だけを取っておくようにしているので、私の中では連絡帳保管はそれ程重要事項ではないのだ。

 

最近、本棚の整理をしていた娘が、昨年度の連絡帳を見つけたらしく、見せてくれた。

ものの見事に落書きで埋まっていた。

娘はそれを『芸術』と称しているが、申し訳ないが、私にはどう見てもただの落書きにしか見えない。

娘が独り立ちする暁には、是非とも『ゲージツ品』達を一緒に持っていってもらいたいものだ。

 

 

 

 

 

 

ドイツの小学校の教育システム

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親よりも本人が先に気付く


 

遂に家庭訪問が始まった。

先週と今週は、所謂、お互いを知る、みたいなコンセプトで、翌週からいよいよ週2家庭訪問が始まる。

もう、ドイツ語会話のトレーニングになるから良いと割り切っていかないと鬱になる。

担当者は悪くはないのだ。

先週は子供達と一緒にメモリで遊んで親睦を深めていたし。

私の気持ちが追いついていかないようで、家庭訪問の日は必ず悪夢を見て魘されて目を覚ますのだ。なかなか正直だな、自分。

 

夫と家庭訪問の担当者の事務所に行き、話し合いを持った。

向こうがメールに書いてよこした文書で不足+不服部分があった場合は書き直してもらった。

そもそも何故彼女が我が家に週2で家庭訪問を行うのか。それは家庭内の問題解決の為に来るのではなく、療育園側の言い分のみを一方的に信じて、子供を保護し救う為に家庭訪問を入れようとした社会福祉事務所の落ち度から私達親側の無実を潔白する意味で家庭訪問をするのだと、担当者が話した事を一言一句間違いなく文書に記してほしいと夫がお願いしていた。

来週は社会福祉事務所で話し合いを持つので(所長は左遷させられたから、別の人が代わりに入っている。今度はその人に会う為。やれやれ)、それまでに担当者は書き直すと約束してくれた。

 

小学校の方は、やっと1週間が過ぎた。

月曜日に席替えがあったそうで、でも夫が聞いた隣の子の名前と私が聞いた名前が違い、更にどうも倅のみが変わったみたいで、また何か問題があったのかしらと思い、担任の先生に聞いてみた。回答は、真逆で褒めてもらえた。

ただ隣に座った男子と相性が余り良くないように見えたので、その子と引き離したらしい。

その子の方に問題があるのか?分からないけど。。。(その男子の隣に座る子がいなかったから)

でも、良かった・・・別に何でもなくて・・

 

学校が始まってから、習い事である日本の武術を週1から週2に切り替えた。

稽古をつけてくれる先生が代わり、大きい子のグループで心配だったけど、意外に怒鳴り声も喧騒もなく、真面目に稽古しているようだ。

本人は行きたくないみたいだが、合格書をもらうまでは頑張りたいらしい。

 

翌日は、夫が倅を学校に連れて行った。

その時、前に隣だった男子の母親が担任に「うちの息子は優しくて良い子なのに、席を一人だけ離されて、問題があったのでしょうか」と質問していたらしい。

後になって分かる事なのだが、この担任は、子供同士の授業中の相性を測る為、かなりの頻度で席替えをしていた。それで倅は男子よりも女子と隣に座っている方が、落ち着いて授業に集中できると言われた。

女子はどの国でもそうであるのか、男子よりは早熟な子が多いから、倅が困っていると、さり気なくフォローをしてくれるらしい。

 

ドイツの教室内には、子供達が憩いの場として過ごせれる一角がある。その教室を使う先生の判断もあるかもしれないが、ソファがあったり、小さな本棚があり、そこで本を読める。疲れやすい子供は、ソファで横になる事もできるようだ。

またドイツでは4年間ずっと同じクラスのまま持ち上がりとなる。1〜2年生、3〜4年生とで担任が代わる。つまり、2年生まで同じ担任で、4年生までずっと同じクラスのままとなり、余程の事がない限り、クラスが変わる事がない。

留年も1年生から経験する子供もいるし、飛び級の子供もいる。そういう所は、かなり個人に合わせた教育システムとなる。

しかし一度、苛めに遭うと、それこそ4年間、苦しみ抜く事になる。実際に苛めに遭い、精神的に参ってしまい、転校を余儀なくされた子供もいる。先生がクラスとの相性が悪いと判断すると、クラスを変えさせられる場合もあるのだ。

 

 

 

 

楽しそうで何より 

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昨日から私の住んでいる州は秋休みだ。

先週から部分的ロックダウンとなり、習い事もスポーツ系施設も動物園も閉鎖されている。

せっかくの秋休みなのに何処にも行けなくて、子供達には可哀想だなあと親としては思うのだが、我が子は家でノンビリするのが好きなようで、全然苦にならないらしい。

普通なら遠方に住んでいる義母に会いに行くのだが、それも出来ない。

 

昨夜、娘がギムナジウムでの遊び方?を教えてくれた。

娘のギムナジウムは緩やかな丘を下った場所にあり、ある時ふとゴロゴロと滑って降りてみたら、楽しかったらしい。

「芝生がまだ濡れていたから、服やズボンが濡れてしまったけど、面白かったよ」

そうかそうか、それだけ滑れるなら、冬はそこで雪滑りができそうだね。

君が楽しいんなら、それで良いよ。

友達は呆れながらも、ちゃんと娘を待っていてくれたらしい。

娘は元来怖がりで、羽目を外す事は外では殆どしない。1人で丘をゴロゴロ滑って遊んだという事は、娘にとって、そこは気を許せる場所だという事になる。

寛容に受け止めてくれる友達が沢山いる事が、私は嬉しい。

 

 

いつも献立に悩む

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毎日の献立を考える主婦の方々、本当にご苦労様です。

私もその内の1人ではあるが、毎回食卓に数色多く並ぶ料理を作る日本の主婦の方々には尊敬の念を感じずにはいられない。

日本の食育や食事に関するレポタージュがドイツでも放送され、観たドイツ人から驚愕のコメントを頂いた。

幼稚園児のお弁当の為に作るキャラ弁やデコ弁なんて凄すぎる。

昔、妹がたまに子供の為に作ったキャラ弁が成功したと写メを送ってきていたが、その芸の細かさに私は舌を巻いた。

流石にそこまではいかなくとも、毎週土曜日の子供達の補習校の弁当を日本式で頑張ってはいる。※今はコロナで補習校自体オンライン授業なので、弁当は作っていません。

 

娘が幼稚園の頃、給食を食べない金曜日だけは弁当を持っていかなければならなかった。日本式が良いかドイツ式が良いかと聞くと、日本式が良いというので、そのようにして持っていかせると、園長先生から『芸術品』だと絶賛され、かなり驚いた。

しかしそんな弁当を持っていっているのは、娘1人なわけで、本人も恥ずかしくなってきて、いつしか日本式でも簡単なもので良いと言うようになった。

そんなわけで、かなり簡単にして持っていかせていたら、園長先生から、非常に言いにくそうに

「以前はとても凝ったお弁当だったのに最近は違うようですが、何かあったんですか?」

と質問され、ネグレストでもしてんのかと疑われたのかしらと苦笑してしまった。

子供からの要望ですと答えると、とても安心されたようだった。

 

私はこの園長先生がとても好きだった。

常に子供達や親の中に入り、細かい所までよく見てくれていた。彼女に育児の相談をした事もあった。娘の幼稚園はうちの近所ではなく、小さな街にあり、幼稚園の規模も大きくはなかったが、先生もそこにやって来る子供達も親もご近所さんも、とても親切だった。

 

さて家族がいる週末、一体何を作ろうかと毎回悩む。

特にドイツでは昼ご飯をガッツリ食べるようになるので、これだけは外せない。

家族に聞くと、毎回同じ答えが返ってくる。

スパゲテイとピザは王道だ。

しかし流石に毎回同じ物ばかりでは、作る側も飽きてくる。

ある時、夫が兎肉を喜び勇んで買ってきた。※今はコロナでスーパーではマスク着用必須です。

義母は野生動物の肉料理を作るのが上手く、毎回訪問する度に、舌鼓を打たせてもらっている。しかし野生動物の肉は高価なので、我が家では滅多に作った事がなかった。

本当に久し振りに時間と手間をかけた料理を作った。

非常に美味しかったが、とにかく時間がかかるので、当分はしなくても良いやと思ってしまうズボラな私だった。

 

我が家流のハロウインの過ごし方。

昨日のハロウインは46年ぶりの満月だったそうで、これはこれで一興だったと思う。

 

昨夜は皆様、何をして過ごしただろうか。

 

こちらにいる私の日本人の友達は、それぞれ家のデコレーションに抜かりなく、ハロウインを楽しんだようだ。

 

私が昨日やった事といえば・・・

 

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これなんだ

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むにゅううう

・・・ぐらいだろうか。

 

夫が倅に買ってやった何かの雑誌の付録についていた、ゴム?南瓜だが、触り心地はペチャペチャして気持ち悪い。

流石はハロウイン仕立て。

しかし子供達には大好評で、倅はこのゴム南瓜に『グミー』と命名していた。

(ドイツではゴムの事をグミという。お菓子のグミもグミという。)

命名したら、愛着が湧いてしまうので、捨てたくても捨てられないものだな。子供の作戦勝ちだな。

 

さて、我が家は、夫に怪談を朗読してもらった。

世界各国の選りすぐりの怪談を集めた大判の本が我が家にはあるのだ。収録されていたものはアジアの怪談が多かったが、まあ、それは置いておこう。

怪談といえば、小泉八雲。

勿論、雪女は鉄板で、ちゃんと収録されていた。

 

電気をサイドランプのみにして、ついでに蝋燭もつけて、静かに怪談話を聞く。

こういうハロウインの過ごし方も良いかもね。

 

 

 

ハロウインですな その2

今週のお題 「急に寒いやん」

 

うん、確かに朝晩寒くなった。

朝、起きがけに腰が痛いのも、きっとそのせいだ。

そういえば、今朝から喉が痛い。これもきっと寒さのせいなんだろう。

 

今日はハロウインではあるが、今年はコロナの為に子供達は恒例のお化けに仮装してハロウインで家々を回り、お菓子をねだることはしない。

日本では割とコスプレ感覚で仮装をするようだが、ドイツでは、お化けの仮装で近所巡りをするのが一般的だ。

娘の親友はかなり凝っていて、去年は死神に扮し、血のりをべったり顔につけ、お菓子を入れる袋も真っ黒で、しかも鎌まであった。

親の力の入れようが凄まじい。

毎年仮装が違う。

その情熱の半分くらい、自分にもあったら良かったかもと少々反省してみたりもする。

 

とはいうものの、我が家は毎年同じ格好である↓

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昨年のハロウインの仮装

穴を二つ開けたシーツをかぶるだけ!

いや〜楽だよ。マジで。

因みに昨年初参戦した倅はバンパイヤに扮しています。

(ゲゲゲの鬼太郎に仮装させようとしたけど、倅が拒否ったので断念した。)

 

娘は毎年、これが良いらしい。

「だって、道で会っても、誰も私だって気付かないんだよ。そこが面白いんだよね」

元来、目立ちたがり屋じゃないもんな、君は。

「それにシーツの下に着込めるから、全然寒くないんだよね」

それは良いね。財布の中身が寒くならないから、お母さんも嬉しいよ。

 

ドイツの夜は滅茶苦茶寒くなる。だから見た目よりも着込んでくれる方が親としては嬉しい。

二月にもカーニバルがあるのだが、寒いのに、着込めないような衣装で、行列に参加している人もいる。絶対に風邪を引くんじゃないかって思ってしまう。

 

ドイツは冬が暗くて長いから、少しでもテンションを上げる楽しみを見つけるのも大事だ。

今年はどんちゃん騒ぎが出来ない分、ひっそりと楽しむのも一興だろうな。

 

 

 

ハロウインですな

今日はハロウインだ。

ドイツでも浸透しつつある。

アメリカンナイズされてきた人達が多いのだろう。

 

ハロウインとは元々ケルト民族の風習がアメリカで民間行事となった。

秋の終わりの10月31日の夜は、同時に冬の始まりでもある。

それは死者の悪霊が家を訪ねてくると信じられていた。それに付随して、精霊や魔女まで出没するようになる。

そんな悪霊達から自分の身を守る為に、人々は悪霊にバレないように同じ格好をしたという。

現在では、悪霊そのものになって、各家庭を訪ね、

「お菓子をくれないと悪戯するぞ」

と唱えるのだ。ここで暗黙の了解があるようで、家の前に中身をくり抜いた南瓜に蝋燭を立てて置いている場所なら、お菓子を強請っても良いらしい。

 

私の住んでいるアパートにも、ある時期までお菓子を強請りに来る子供がいた。

しかし私はこの風習に興味がなかったので、毎年居留守を使っていた。どうやらアパートの管理人が南瓜の置物を設置していたようで、それで毎年お化けに扮した子供達が来ていたのだ。

管理人が代わり、今では南瓜ランタンを設置しなくなってからは、誰もねだりに来なくなった。その代わり、私の娘が友達に誘われて、お化けに扮してお菓子を強請るようになった。

なんてこったい。

 

しかし今年はロックダウンで、この練り歩きもないだろう。

子供にとっては残念であろうが、私は少しほっとしている。

ご存知の方もいらっしゃるだろうが、もう随分前に、アメリカ合衆国で日本の少年2人がハロウインで仮装して廻った時に銃殺されてしまうという痛ましい事件があった。

それで本当は夜に子供が仮装して家を訪ね歩くのを反対していたが、親友の母親から尋ねられるので、気がかりではあるが、複数人で近所を回るのならと承諾した。

小学生の内は、親も一緒になって廻った。

中学生になると、親は同伴しないが、子供達数人で廻るようになった。

 

さてせっかくのハロウインなので、期間限定で子供達が趣味で作った動画をあげる事にする。

8歳の倅は姉のやっているのを見様見真似で、動画を作った。

その為、稚拙すぎてお見苦しいものもあるだろうが、お楽しみ頂けれたらと思う。

 

こちらが倅が作った動画↓

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お次は娘の動画↓ 

実はハロウイン関係の動画もあるが、個人的にはこちらが好きなので。

youtu.be

 

 

 

 

 

 

 

良い外国人と悪い外国人

夫は博士課程所得の為、日本に留学をしていた。もう20年以上前の事である。

その時の恩師の一人に、表題の通りの事を言われたらしい。つまり

「日本には良い外国人と悪い外国人の二通りしかいない。中間はないのだ」

と。

日本人は君達の行動や言動で、君達の国をイメージするのだ。とも言われたらしい。

海外に出た経験がなく、まだ若かった当時の私は、夫からこの言葉を聞かされた時、彼の恩師の言葉の本当の意味を理解していなかった。しかし結婚してドイツに住むようになり、解るようになってきた。

 

ドイツには移民や難民が多い。

デユッセルドルフにはリトルトーキョーと呼ばれる日本人のコミュニテイがある。戦後、炭鉱夫としてやってきた日本人が住み着き、それから日本企業の進出があり、そこから発展した。

炭鉱夫として来ていたのは日本人ばかりではない。

イタリアやギリシャ、トルコからも来ていた。

日本人が炭鉱夫として来る条件の一つとして、最低学歴が高校卒業であったのも興味深い。数年後、任期を終えた彼等のうち10人余りがドイツに残り、あとは皆日本に帰って行った。滞在条件は、現地のドイツ女性と結婚するか大学進学か、だったそうだが、1人を除いて、あとは全員現地の女性と結婚したそうだ。

日本人は勤勉だったから、ドイツ人には好印象だったのかもしれない。その時の名残ばかりではないだろうが、ドイツ人の日本人を見る目は少し違う。良い評価をしてくれる人が多い。後に続く自分も、できるだけ現地の人に迷惑をかけないようにしようと心がけている。そういう人が多いからか、こちらで日本人が大きな犯罪を犯した話は聞かない。

こちらの大学時代からの東欧出身の友達は、警察署で通訳の仕事を時々していて、貴女もやってみないかと言ってくれたが、

「日本人がここで犯罪を犯す事はないか」

と苦笑していた。

 

私は時々、移民や難民の人達にドイツ語を教えているが、その時もよく夫の恩師の言葉を思い出す。私の前に座っている多くの人達は、危険から逃れて命からがらドイツに来ている。その大多数が受け入れてくれたドイツに対して感謝しているが、少数の不満を持っている人達が、その不満を露わにする。それがそのまま 現地の人にとって、全ての難民や移民への偏見になってしまうのは残念ではある。

私もここでは「日本人という外国人」となる。

それを肝に銘じて、いつも生活している。

海外で生活を送るというのは、そういう事なんだろうなあと思うのである。

謝るのは苦手だが・・・

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真夜中に夫に起こされた。

携帯電話のケーブルがないという。

私はすぐに片付けるので、何処にあるのか聞いてきたのだが、これに関しては知らない。

結局、夫が置き忘れていただけだったのだが、こっちは寝ていたのに起こされて文句を言われながら一緒に探したので、見つかっても全然嬉しくない。

それで

「無闇に疑って。私に何か言う事ないの?」

と言うと、少し間を置いて

「ごめんなさーい」

と返ってきた。

 

ドイツ人って謝らないよねー

だから今回素直に謝られて、逆に驚いたわ。

その日は珍しく娘を褒めたので、娘がやたら喜んでいた。

「珍しく、お父さんから褒められた!!」

 

夫は、なかなか褒めない御仁である。

料理やら何やらも褒めない。かなり辛口な意見も多い。

あまりに褒めないから、始めは私も怒っていたが、珍しく褒めると、それはお世辞ではなく本音なのだと理解してからは怒りも収まってきた。それで、料理を食べた後に何点か聞いてみる事にした。すると、悪い点数であっても、今度はもっと美味しいものを作ってやろうという気になるから面白いものだ。

 

謝る事に関しても、同じかもしれない。

謝るのが苦手なドイツ人なので、逆にすぐに謝罪をする日本人は奇妙に映るのかもしれないが、それでも夫は今回素直に謝った。あまりに素直に謝るから、悪いものでも食べさせてしまったかしらと逆に心配になってしまった。

でもたまには素直になるのも良いものだよね。

 

 

 

2回目のロックダウン

 

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2回目のロックダウンが来てしまった。

国内のバーやレストラン、スポーツ施設を閉鎖しつつも、学校や幼稚園はそのまま開く。

クリスマス市も中止になってしまった所もある。残念で仕方がない。

子供達は秋休み以降、つまり再来週から分散登校となるようだ。

子供達は休みたいから残念がっていたが、分散であっても開校してくれる方が親としては有難いものだ。

噂によると、ドイツ首相は学校も閉めようと提案したらしいが、反対があって、断念したらしい。

前回に比べてウイルスの性質が分かっている分、今回のロックダウンは周りも落ち着いているように思う。

昨日はママ友とつい長電話をしてしまったが、お互いの娘達の共通の友達のハロウインパーテイーをどうするかという話から、コロナは消えるわけではないから、もう共存して生きていくしかないと語っていた。日本はとっくの前からそうしている。とは言えないので、そうだね。と愛槌を軽く打つ程度に留めた。

彼女の旦那さんはオーストリアに単身赴任で行っていたのだが、コロナ禍を機に在宅勤務に切り替わった。私の夫は相変わらず出勤するので、とにかく健康に気を付けてもらいたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

13日の金曜日

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年代毎に建物が変わっていくのを描くのが最近のブームらしい。

 

13日の金曜日、それは起こった。

というのは冗談だが、家庭訪問の担当者が遂にやって来た。

色々説明を受けたが、結論からいくと

・社会福祉事務所の早まった結論(虐待の疑い)を確認する為の家庭訪問

・倅の学校生活が順調かどうかを見極める家庭訪問

・加配手配等は最終的に親に決定権がある

という事だった。

因みに東区域の所長は左遷されたらしく、もうあの社会福祉事務所にはいないらしい。家庭訪問の担当者の女性はあくまでも自分は私達の味方だと強調していた。

 

こちらの言い分を聞いた後、子供達と一緒にメモリーというゲームをして遊んでいた。それで子供達も少し打ち解けたようだった。

そういえば、昨日の学童には娘も一緒に迎えに行ったのだが、娘が

「倅君は恥ずかしい事ばかりする」

と怒っていた。なんでも学童にいる娘の知り合いの女子がふざけて「自分で自分を舐めて」と言えば、それに素直に従うんだと、その女子から聞かされ恥ずかしかったらしい。

そうだろうね。

空気が読めない自閉症スペクトラム障害もある(らしい)倅には、それがふざけているのかどうなのか分からないんだろう。その女子にも問題があると私は言った。

大体入学したての1年生の男子に対して、普通はそんな指示は出さないものだ。

倅には

「自分が嫌だと思ったら、しなくても良いんだよ」

と話した。

 

夫の方に家庭訪問の担当者からメールが届き、前所長が左遷されても、社会福祉事務所とは切れないようで、相変わらず今月末に話し合いを持つようになるみたいだ。やれやれ

 

入学式から1週間が過ぎた。

倅は弁当を1人で食べ、休み時間も1人で過ごす事が多いようだ。私は

「いいじゃん。お母さんも1人が好きだし、お昼も1人で食べるよ」

と肯定的な意見を述べたら、驚いたような顔をしていた。娘も

「私も1人でいたい時はそうする」

と言っている。というより、娘も倅も1人でいたい時はそうしていて、それが自然体なのだ。友達といつも一緒にいなくても寂しくないのだ。私の子供らしい。

 

それでも娘の場合は友達が多いから、上手に社交をこなしているのだろう。ただ彼女も補習校では小3になるまで、友達付き合いがなかなかできなくて、こちらもヤキモキしていたから、娘の成長のみならず、周りの環境も変わってきたのも大きな要因である。

ちなみ芸能界で活躍する人の中でも、子供の頃は周りとうまく付き合えず、ずっと1人でいたり、酷い苛めに遭った人もいるらしい。発達障害を公言しているモデルの栗原類さんもその1人で、彼の居場所は当時はネットの中だけだったという。ネット内では評価が上がり、友達もいたけど、実社会ではいなかったらしい。いうならば、発達障碍者にとってネットというのは、社交の場になり得る有効手段なのかもしれない。

 

入学式

 

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我が家のペースで

 

2019年9月10日、朝8時から小学校の真向かいにあるカトリックの教会で入学の門出を祝う式が厳かに行われた。

迷ったが天気が良かったので着物を着る事にした。

気温は思った以上に低めだったので、夫も汗をかかずに済み、私も娘の時のように重たい荷物を持ったりという負担が少なくて済んだ。

教会では、お祝いの賛美歌が歌われ、カトリックの神父さんとプロテスタントの牧師さんが壇上で、それぞれお祝いの言葉を述べてくれた。

その後、新1年生になる子供とその親は前に出て、神父さん達から門出の為、神の祝福を受けるべく、個別に十字を切ってもらう。夫と倅が前に出て十字を切ってもらった。

その後、小学校に行くと、2年生から4年生までの子供達が校庭から表玄関までに列に並び、手でアーチを作り、新1年生になる子供達を迎えてくれた。

 

小学校の入学式は表玄関内で行われた。

まず新1年生達は長椅子に座らされた。校長先生からのお話があった後、上級生からのお祝いの歌が歌われた。それから担任が前に出て、自分のクラスの子供達の名前を呼んでいくのだ。呼ばれた順から担任の元に集まり、全員揃ったら新1年生は教室に消えて行った。

倅は娘の時と同じ1A組だった。今年度は3クラス編成だ。担任は若い女性教師だ。一抹の不安が過る。因みに、1年生は3クラス共に若い先生が担任となるようで、B組の先生は男性なので、そちらの方が良いかもと夫に耳打ちしたら

「とんでもない!彼はどう見ても弱いと思う」

と返答が。そんなもんかね。。。

あの3人の中では倅の担任が一番経験がありそうだという事だが、私には分からない。

声が小さいのも少々気になる。

倅を先生の机に近い、窓際の一番前に座らせた。ここは補習校の1年次の時からの定位置で、始めは先生に一番近い場所の方が良いと思ったからだ。

さてそんな倅だが、先生が自己紹介と次に何をやるのかを話しているのを私達が聞いている時も、茫洋としていて皆が筆箱を出して作業にあたってる最中も何もしていない。

こちらを振り返るので、私が「筆箱を出して、色を塗りなさい」と小さな声で言うと、やっと作業に取り掛かろうとするも、今度は筆箱が見当たらなくて首をすくめる仕草をした。

いやいや、ランドセルの中に入ってるよ。ちゃんと見ようよ・・・と倅の傍に行き、筆箱を見付けて渡した。やれやれ

 

ちなみに、2日目は首巻を何処かに忘れたようだ。

発達障碍児はよく物を忘れるというが、本当にそうだ。

幼稚園時代も療育園時代も、とにかく色々な物がよく無くなっていた。

娘が通っていた頃から、宿題はアルファベットの略字で記されていると決まっているようだ。恐らくドイツではずっとそうなんだろう。始めは何の事かさっぱりわからなかったが、娘が略字を知っているお陰でなんとかなった。

学童には期待できないので、宿題を家でも再確認するしかない。娘がいかに優秀だったか分かるな。

学童では6歳の男子と一緒に遊んだらしい。学童で一緒だというが多分同じ学校の同じ学年でクラスが違うのだろう。娘を知ってるという上級生の女子がいたらしい。そりゃそうだろう、学童も同じ場所に通ったからね。

 

倅が授業を受けている間、夫と私は校長の所と医師の所に挨拶に行った。

二人共、夫から一通り聞いているのもあり、私達に理解を示しているように見えた。この校長があの若い女性の先生を倅の担任にしたわけで、果たしてそれだけの実力があの先生にあるのか。もう先生の手腕を信じるしかない。あとクラス全体の雰囲気も。。

 

前日に社会福祉事務所が派遣した家庭訪問の担当者から電話が掛かってきた。すぐにでも訪問したいという。流石に昨日今日は着物を出したり干したり日本からのスーツケースの中身で家中がごった返していたので断った。その代わり、入学式から2日後の午後5時に来る事になった。

夫は既に担当者である彼女と電話で話したそうだ。一連の事件を当然彼女も知っているわけで、私達に同情しつつ、「悪いようにはしない」と言ったらしい。

あの強制的保護を医師達の証言により取り下げる事になり、その代わり、加配が必要か否かを見極める為に家庭訪問を3か月半実施すると理由がすり替わっていたが、まだまだ前途多難であるのには間違いない。

 

同じ穴の狢

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娘からはもう小さい頃から随分クラスメートの武勇伝を聞いてきた。

特に男子の話は伝説に残るものが多く、西原理恵子先生の『ああ、息子』に負けないくらい面白い話が聞けれて、それはそれは楽しかった。

その武勇伝はギムナジウムに行っても健在のようで、困り者の倅を持つ身としては大いに励みになっている。

 

チェス部の一つ上の先輩が、お菓子のポイントシールをおでこに貼っていたらしい。本体のお菓子は彼の胃の中に収まりはしたものの、余っていたお菓子を娘や後輩達に振舞ってくれたそうだ。

「僕の事をミスターなんとか(お菓子の名前)と呼んでくれ」

だそうで、娘がお菓子のお礼にと飴をあげようとしたら

「その必要はないよ。だって僕はミスターなんとか(お菓子の名前)だから」

と、よく分からない理屈をこねて断ったらしい。

 

ところで何気なく娘のジーンズを見ると、膝の辺りに、ヘアゴムが糸に絡まってくっついていた。それを鋏で切ると、娘に

「わざとやっていたのに!」

と怒られてしまった。そしてまた器用に糸に絡めてしまった。

皆の反応を見るのが楽しいのだそうだ。大抵は、目線が一瞬下にいくが、その後は見なかった事にする人が多いらしい。

しかし仲の良い友達は、一応、くっついていると教えてくれる。娘が面白いでしょ?と言うと、変だという反応が返ってくるそうで、それが楽しいらしい。

「お母さんは、隣に座ってるトルコ人の〇〇ちゃんと同じだよ。鋏で切りたくて仕方ないみたいで、それを死守するのが大変なんだから」

 

そうだろうね。私も切りたくて苛々するよ。

 

どうせ洗濯する時に外れるだろうから放っておいたら、その前に切れた。というか、娘の不注意で切れてしまった。

娘の落胆は酷かったが、3分後にはケロリとしていた。

 

それで何となくではあるが、チェス部の先輩がおでこにシールを貼っていたのは、皆の反応が見たかったのかもと思ってしまった。

まあ、類友というか、似たようなタイプが同じ場所に集うものなのかもしれない。

 

祖母の存在

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日本の歌

すっかり忘れていたのだが・・・

小学校の入学準備をせねば!

という事で、学童と小学校の準備を開始。夫に校長へ電話を入れてもらう。体験入学をすっかり失念していた。すまない倅・・・

学校も学童も定型発達児の場所だ。娘が以前通っていた。

娘を知っている先生もまだ少しいて、その点も安心感がある。校長先生も同じ人だ。

発達障害児や身体障害児、また移民や難民の子供も入った少人数で構成されている特殊学級も昔はあったが、今はもうないらしい。

なので、普通のクラスでの加配をお願いする予定にしていたが、療育園とのいざこざと、加配そのものがなかなか決まらない理由とで、結局キャンセルにした。

そして夫は校長に加配を取り止めた件も話したらしい。校長は元々現在の教育システムに疑問を感じている人のようで、夫とも気が合っていたから、夫の話を受けて

「準備は一応していたが、キャンセルしたのであれば了解した。大丈夫です。もし何かあったら、その時に考えましょう」

と言ってくれ、倅の入学を喜んでくれているようだった。学校に関しては、毎週土曜日に通っている日本語補習校で授業中に何をするべきかを把握しているし、勉強面に関しては、それほど問題はないが、問題なのは社会性欠如であり、その為、寧ろ学童の方が心配ではあったが、こちらも取り敢えず、決まったので様子を見ながらやっていくしかない。

 

小児科の男の先生と娘の二度目の肺の検査で行った際に、今回の話になり

「社会福祉事務所から電話が入り、自分が話した。娘さんが赤ちゃんの頃から良く知っている。親は二人共教育熱心で、病気や怪我をしたら必ずここに来るし予防接種や検査は絶対に忘れない。愛情を持って子供達に接している」

と言ってくれたらしい。ありがたい・・・

病院管轄の社会福祉事務所の所長も、私達に力添えをしてくれると約束をしてくれた。味方になってくれる人がいる事は、本当にありがたい。

 

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2019年727日から96日迄家族全員で日本に帰国していた。

夫はいち早くドイツに帰り、メールで社会福祉事務所が送ってきた文書を送ってくれた。

ドイツに戻ってから改めて読み返してみた。

医師やセラピストの証言を受けて、どうやら強制的に保護する旨を取り下げる事になったらしい。

家庭訪問をする理由として、加配をするべきかどうかの見極めとなっていた。

どうしても加配をつけたいらしい。

そして担当者を所長ではなく、他の人に変更となっていた。風の便りで、所長は今回の件で左遷させられたという事だった。

 

日本帰国は倅にとって、とても有意義なものだったようだ。

ドイツに戻る何日も前から「帰りたくない。日本にずっといたい」と嘆いていた。そしてドイツに戻って暫くの間は日本が恋しくて泣き、慰めにグーグルマップで祖母の家を検索していた。

「もしかしたら過去のお婆ちゃんに会えるかもしれないから」

と殊勝な事を言う。日本にいた時は祖母に減らず口を叩いて、よく叱られていたのに。母に話すと嬉しそうに笑っていた。

 

やはり親戚というのは大事なんだなあと思う。

 

倅や娘に居心地の良い場所が一つでも多いと、やはり子供の精神状態にも良い影響を及ぼす。実母は、二人と一緒によく笑い、同じ共通点を沢山作る事に成功した。勉強を見たり歌を教えたり、一緒に何処かに行ったり。

そういえば、最近まで外出先ではドイツの祖母とは絶対に並んで座らない娘だったが、私の祖母とは好んで並んで座っていた。理由は「日本のお婆ちゃんは優しいから」だそうだ。

義母の前では余りしないおふざけも、日本では大叱られされても止まず、大騒ぎしたり泣いたり笑ったりしながら過ごした。こういうのが子供には大切なんだろうな。

そこから信頼関係が生まれるんだろうな。