今週のお題「わたし○○部でした」
中学に入った時、『ガラスの仮面』に傾倒していた私は、友達数人と演劇部を立ち上げた。
人気のない公園で、皆で発声練習や基礎トレーニングをしたのが懐かしい。
文化祭では初芝居を披露したが、残念ながら、あまり好評ではなかった。
それでも芝居熱は冷めず、高校に入っても演劇部に入部した。
当時の私は不登校気味で、なかなか登校もままならない状態だったが、放課後の部活にだけは参加していたので、部員は誰も私が不登校をしていると知らなかった。
高校2年生の時に、県大会に出場する事ができ、その時は、家族が見にきてくれた。
私の家族は、普段家で引きこもっている私しか知らなかったので、舞台上で飛び跳ねている私を見て
「あいつにこんな一面があったなんて。楽しそうにやってるじゃないか。あれだけ元気なら大丈夫」
と妙に安心したと言っていた。
出席日数ギリギリで高校を卒業後、某大学の通信教育を受けながら、バイト生活を送っていた。その時に、地元のアマチュア劇団の噂を聞き、そこに入団。その頃から付き合いだした夫も舞台を見にきてくれた。
当時は地元のアマチュア劇団も活気があった。
他の劇団とも交流を持ち、コラボで芝居をした事もある。
ドイツに住んで長いが、今でも当時の劇団員とは交流があり、帰国したら必ず稽古場に顔を出している。
ところで義父は存命中、ドイツ文学の教授で、更に演劇評論家だった。
それで毎週1回は必ず地元の芝居を見て評論を新聞に載せていて、それに長年付き添っていた義母からバトンタッチされ、今度は私が付き添っていくようになった。
それで観賞後にあれこれ2人で討論しながら帰った事もある。
それでも自分から芝居をする事は、もうなくなってしまったし、随分遠ざかってしまったが、ひょんな事から、また私の芝居熱が復活しそうになった。
子供等は現在、毎週土曜日に日本語補習校で、日本人としての日本語を学んでいるが、娘が小学部の頃に、学習発表会で芝居を披露した。
といっても、私ではなく、当然、娘が、である。
それでも昔取った杵柄で、練習稽古では毎回力が入ってしまっていた(^_^;)。いや私がw
月影先生さながら、私は娘の可能性を信じて、幾重にも仮面を持たせる努力を惜しまなかった。
その甲斐あってか、娘の演技は親の欲目も手伝って、大変素晴らしかった。
娘が現地校小4の頃は、学校で演劇部に入ると言い出した。
当然、私は応援する。
ドイツでは小4で小学校は終わる。小5から進路が分かれるのだ。
その集大成で、娘達は芝居を披露した。
それがまた大盛況で、何度もアンコールをもらった。
習い事の日本の某武術で鍛えた受け身で、舞台上で何度も威勢よく転ぶ娘は大人気で、下級生のファンに
「次回作はいつなの?」
と質問される程だった。
そんな娘は、私の芝居熱の原点である『ガラスの仮面』を観ていない。
原作も私が熱く語るのを聞き齧っている程度だ。
ああいった熱い漫画は好みではないそうだ。残念。
現在、娘はギムナジウム9年生(中3)ではあるが、演劇部に入らずに、他の部活で青春を謳歌している。
それはともかく。
こちらでもアマチュア劇団に入っている日本人もいるし、自分でもまたやってみたいとも思うが、まだそこまでの気持ちが向かないでいる。
たまに子供等と一緒に、漫画や小説を演技して読んでみているだけだ。
まあ、それはそれで楽しいかなとも思っている。
chiriyama-nikki.hatenadiary.com