9月23日は45歳で他界した父の誕生日だ。
もし生きていたら、77歳になる。
父は秋分の日、母は春分の日が誕生日なので、覚えやすい。
父の夢を見なくなって久しい。
父関連の内容の筈なのに、祖父が出てきたりする事もあった。
父よりも祖父の方が長く生きたし、私が結婚するまで、祖父と同居していたのもあり、祖父との方が繋がりが強いのかもしれない。
子供達は祖父を知らない。
ドイツの方は娘が2歳の時に他界したので、娘はうっすらと記憶にあるだけだ。
義父が意識がなくなって病室のベッドで横たわっていた時、夫がドイツの童謡『Guten Abend, gut' Nacht』(こんばんわ、おやすみなさい)を歌い、それに合わせて娘がくるくる回って踊っていた。
紫色のスカートがヒラヒラ舞っていたのを覚えている。
倅は両方の祖父を知らないが、双方の家に里帰りをする度に家族全員で墓参りに行き、墓掃除をして手を合わせている。
母とフェイスタイムをしていた時のこと。
敬老の日だから、大学生の甥っ子が電話をかけてきてくれたのだけど、小さな声で「僕です」と言うから、「あんた、孫1君か?」と聞いたら、そうだと答えたらしい。
オレオレ詐欺の心配もあるから、妹からでも、名前を名乗らせるように言ってもらった方が良いかもと話した。
やっぱり大学生くらいになると、恥ずかしがってしまうのだろうか。
昔はお喋りだったのに、中学生くらいから寡黙になり、今では何を考えているのかさっぱり分からない!と、妹はぼやいている。
男の子って、そんな風に変貌するのかと、ペラペラ喋る倅のどうでも良い話に耳を傾けながら、今のこの時期を大事にしないと遺憾と肝に銘じた。
さて新年度が始まってから、子供達は週3回のコロナテストを余儀なくされている。
生徒の1人が鼻血を出してしまったので、倅の方は口に入れるだけのテストで良くなったらしいが、娘の方はそれでも鼻と口の両方でしないといけないそうで、倅を少し羨ましがっていた。
とまあ、そんな慌ただしい日常を繰り返しながら、時々、亡き父の事を思い出す。
もし父が生きていたら、私は夫と出逢わなかっただろうし、当然ドイツに住む事もなかっただろう。
あの時、私達一家は心がバラバラで、お世辞にも幸せとは言えなかった。
親戚も陰で私達が不幸だと言っていたらしい。
しかし今は違う。
母も妹も私も、それぞれの道を歩み、右往左往しながらも楽しい生活を送っている。
きっと父も、あの世で安心しているに違いない。