小学生の頃、こっくりさんやホラー漫画に熱中した。
丁度、小学校4年生くらいの頃に、口裂け女が大流行した。
中学時代は 自分でホラー漫画を描いた。
それでも私は映像化されたホラー物が苦手だ。
ダークファンタジーやサスペンス物は好きなのだが、伝説のホラー映画『リング』だって『学校の怪談』ですら、私は実際に観た事がない。
実は日本の夏の恒例『あなたの知らない世界』も駄目なクチなのだ。
ドイツにも幽霊モノやスプラッタ状になるホラー映画がテレビのロードショーで来るが、観ない。というか怖すぎて観れない。
さて、そんな私がホラーゲームの紹介をするのはおこがましいというものだ。
実際にゲームをやったわけではなく、ホラーゲームの実況動画を見た感想なので、何クッションも置いている状態ではあるが、思う事があり書きたくなったのでご容赦下さい。
不適切な表現もあるので、ご注意下さい。
ゲーム KindergartenはGiant Bomb社から出ているホラーゲーム。
2019年4月に発売された。
子供達がコロナ禍で家にいる間、YouTubeのゲーム実況動画で見付けたようだ。
はっきり言うと、かなりエグイ。
進撃の巨人ファンの私ですら、目を潜めてしまう程だ。
舞台は幼稚園。いつも月曜日のシチュエーションとなる。
保育士と管理人、園長、そして数人の子供達と「キッド」と呼ばれる自分(プレーヤー)。
この自分が周りの人達と子供達と上手く交流しながら、モンスターカードを獲得していくゲームだ。
登場人物の設定がとにかくエグイ。
ジャンキーの担任、子供嫌いの管理人、尻軽女児、根暗女児、チキンナゲットしか食べない男児、狂暴な男児、すぐ金をせびる男児、、、と、ここは何処の世界だと目を疑いたくなる。
主人公「キッド」が殺されたら最初からやり直し。
しかしである。
何故か子供達は実況動画に熱狂している。それどころか、コアなファンもいるという。その為に動画があり歌まで作った人もいるという。
信じられないが、英語が苦手だった娘が、英語が分からない弟の為に翻訳を始めた。それで英語が出来るようになった。キンダーガーテンに私は感謝せねばならないくらいだ。
眉を顰める私に娘は言う。
「キンダーガーテンは実はとっても奥深いのよ。お母さんも一緒に実況動画を見れば分かるよ」
半信半疑で、子供が勧める動画を一緒に見る事にした。
ラストになるにつれ、実況者(プレイヤー)もかなりコツを覚えてきて、すぐには死ななくなってきた。それどころか、始めはショックを受けていた実況者も、次第に自分の意志とは反するが、これを攻略する為には残酷な事も目を瞑って行わなければならないと、覚悟を決めたようだった。
大ドンデン返しの1が終わり、次に2が始まった。(2は火曜日から始まる。)
2をするまでに、実況者は2年間くらい時間を空けていたようだ。
新しいキャラクターも加わり、もっと凄いものになっていた。
しかしここでもドンテン返し。真の主役は「キッド」ではなく、いじめられっ子の少年だった。
子供達はこのいじめられっ子の少年が好きだと言う。
実はこの少年のファンは非常に多いらしい。
何故だろうか。
普通好きになるキャラクターは、自分に投影するか憧れの存在かになる。
この少年が好きな理由は前者に当たるのかもしれない。
子供達は酷い苛めに遭った事はないが。
そして殺戮し合う内容は、正直言って、教育上良いと呼べるものでは決してない。
ただ、私は思うのだ。
かつて、原哲夫先生の『北斗の拳』が残酷過ぎて、問題になった。
J・K・ローリング女史の『ハリーポッター』も一時期販売停止になった。
『進撃の巨人』だって拒否反応を起こす人もいるだろう。
しかし、子供達や青年達の心を掴んで離さない作品の多くは、聖人君子や優等生が模範のような幸せいっぱいの人生を送るものではなく(勿論、そういうのもあるが)、どちらかというと、人間の心の闇を映し出す内容だったり、常に逆境と闘う運命にある主人公だったりするのだ。
今の子供は、社会で良い子を演じなければならないから、さぞや窮屈だろうな。
嗚呼、だからダークヒーローや、ブラックユーモアや残酷シーンが多いホラー描写に魅かれてしまうのだろうか。
現実社会では当然人を無残な扱いにしてはいけない。
小さい内から喧嘩もできず、自分の嫌いな人とも早い内から適当に距離を置いて付き合っていかねばならない。ストレス発散に、こういったゲームが話になるのなら、まだマシなのか。
因みに私の子供達は、私と同様にゲームを殆どしない。
無料オンラインゲームを時間を決めてするくらいだ。(ボードゲームはたまにするが。)
件のキンダーガーテンも実況動画を見るくらいで、実際にはした事がない。
なので、大して説得力がないかもしれないが、最初から最後まで、このゲーム実況動画を子供一緒に見た。そうやって、あーだこーだと話しながら観覧するくらいが丁度良いのかもしれない。