まだ子供がおらず、夫と2人でイタリア旅行に行った時に、日本語を話せる人に遭遇して驚いた。私と夫が2人で日本語を話していると、前にいた若いイタリア女性がこちらを向いて、日本語で話しかけてきたのだ。
また駅のインフォメで働いている高齢の男性が、私が日本人と知ると否や、ブロークンな日本語で行き先を教えてくれた。
この人の娘さんはドイツ人と結婚したのもあり、夫にはドイツ語で話していた。
「日本人は沢山観光に来るから、覚えた」
という。ご本人は日本に行った事がないらしい。
倅が赤ちゃんの頃から、ミュンヘン日本語補習校には、家族総出で毎週通っている。
今はコロナ禍でオンライン授業を余儀なくされているが、毎週末の日課のように、丸1日潰れてしまう補習校通いであっても、得られる物が多大にあると思っている。
私が補習校の当番や係やらをしている間は、夫が倅を連れて市場に散歩に連れて行った。子供達の顔立ちは、どちらの血が濃いというわけでなく、丁度良いくらい混ざっているらしい。
ヨーロッパ人から見ると、アジア人っぽい顔立ちとなるし、アジア人から見ると、ヨーロッパの血が混じっていると言われる。
夫が偶然市場で出会った日本人夫婦は、恐らくは新婚旅行で来ているようで、とても仲睦まじかったらしい。まさか夫と倅が日本語を話せるとは思いもよらなかったようで、倅が日本語で挨拶をしたら、とても驚いた様子だったらしい。
ミュンヘンはとても大きいから、そうやって日本人の旅行者にもよく出くわす。
とても不思議なのだが、例えば、目の前に私のような日本人がいても、日本人は目配せのような挨拶は殆どしない。
ここにいると、知らない外国人同士、自然に目配せというか挨拶をするようになるのだが、日本人は駐在員や国際結婚者であっても、知らない人同士は基本はお互いスルーし合う。
知り合いになるまで、アイコンタクトすらしない。まるで見えていないように振る舞う。
よく考えてみれば、自分もそうだから、きっと国民性なんだろう。
しかし、それだから、危険を回避する能力が他国の人々よりも発達しているのだと、良い方にも捉えてもみる。
ある夏の話だ。
当時、倅は幼稚園に行っていて、久々に娘と2人で、街の新しくできた図書館まで行ったが、当時はまだスマホを持っておらず、方向音痴の私は地図と睨めっこしながら図書館を探していたら、急に日本語で声をかけられた。
どうやら私達が日本語で話しているのを聞いて、嬉しくなって声をかけてくれたらしい。
まだ若いドイツ人の女性だった。
最近まで日本にホームステイしていたそうで、
「また遊びに行きたい」
と言っていた。図書館への道のりも丁寧に教えてくれ、その後
「日本の何処から来ましたか?」
と聞かれた。
まさか、10年以上も(郊外だけど)この街に住んでいるとは言えず、取り敢えず、自分の郷里の名を言った。まあ、彼女は知らなかったが。
しかしそれから数人に、同じように日本語で声をかけられたのだ。
余程、私の方向音痴が酷かったのが、お分かり頂けれるであろう。いやはや、お恥ずかしい。
どの人もドイツの若者で、いずれも日本や日本の文化が大好きで、大学や市民大学で日本語を勉強していた。
日本にいつか行ってみたい。もしくは、また行ってみたいという希望を持っている人ばかりだった。
いつか彼等の夢が叶いますように。
そして、彼等や私達の子供が、日本とドイツの架け橋になってくれますように。