7月半ば、療育園の馬鹿担任から夫の会社に電話があった。
「加配が水曜から金曜まで休むから、倅君を家にいさせてもらえないか」
勿論、夫は一蹴した。
「何馬鹿な事を言ってるんだ。まだ何も起こってもいないのに。もし本当に大変だったら、連絡して妻を来させるなり、家に連れていくなりすればいい」
『療育』が聞いて呆れる。
この日は夏休み後の9月から我が家に家庭訪問をするという訪問員との顔合わせがあった。
分かっていたが、かなり精神的にきつかった。というか、相当自分に無理しているのだけは分かった。
どうやら若い未婚の子無しの姉ちゃんだ。一体この女と何を話せばいいのだろうか。天気の話ですか??
夫もかなり気落ちしている様子だった。つまり、行政は私達が何を言っても聞かない方向にもっていきたいらしい。幸いにして、初日に突き付けられた同意書は新しく書き替えられたようだが、それもただ向こうが読んだだけ。大して変わっていない。なので、サインはしなかった。サインはしなかったけど、家庭訪問を受け入れる事には了承しているから、あっちとしてもどうでもいいのだろう。全く、福祉国家が聞いて呆れる。
過呼吸になりそうになった。
子供達の顔を見ていると、泣けてきた。
倅が我儘を言い始めたが(つまり空気を読めていないから)、流石に応戦できない。
娘は小児喘息があり、肺のテストの為に小児科に行ったが、普段滅多にいない中年の男の先生が珍しく診てくれた。彼には娘の命を助けてもらった縁がある。きっと例の一件もあっての事だろう。私を見ると目配せをしてくれたが、なんかもう泣けてきた。
本当は、夫のことづてを話したかったが、それすらもできなかった。でもまた翌週には肺のテストで小児科に行かねばならない。
夜、流石に疲れてしまい、早々に横になった。子供達の宿題がなくて良かった。すると、またいつも如く、倅の我儘が始まる。
耐えきれなくて涙が溢れ出た。すると娘が何も言わずに抱き締めてくれた。暫くして落ち着いた。
要するにアレだ。
今迄溜めていたものが、小さな事をきっかけに一度に噴き出るってやつだな。
家庭訪問は受けてもやっても良い。でもせめて療育園からの謝罪や社会福祉事務所に誤解を解く為の説明でもしていれば、こちらの気が少しは治まっていたであろう。例え結果が同じ方向に転んでも。
しかし彼等は何もしなかった。
具体的に動いてくれたのは、小児科病棟の専門医と病院管轄の社会福祉事務所の所長のみだった。他は誰もいない。全て私達の敵のように見えた。
療育園最終週となる翌週は夫がシュールテューテ(入学祝に使う三角錐の紙袋。中にお菓子や文具品を入れる)の工作で療育園に行くのは仕方ないが、せめてそれで終わりにしてほしい。どうせ、あの担任は倅の世話ができないのだろうから、行かない方がお互いの為になるのではないか。でないと私の精神がもたない。
しかし夫はそれこそが彼等の思うつぼだという。だから絶対に療育園最終日の金曜まで行かせるべきだと言われた。
あともう一つ。
小学校の加配をつける話。キャンセルした。
すると社会福祉事務所が「考え直せ」と言ってきたが、「信頼を失っているから出来ない」と自分の口で伝えた。家庭訪問についても同様。
「私は貴方達に恐怖を感じている。私達を信用しない貴方達を私も信用できない」
とも話した。