子供等から毎日、学校での出来事をあれこれ教えてもらっている。
先日、娘が嬉しそうな顔で報告してきた。
どうやら英語の授業で、英語が苦手な生徒と共同作業をしたそうで、その時、娘のノートの取り方を参考にして、彼はノートに書き写していたとか。
その男子生徒から娘の英語力を認めてもらえたようで嬉しかったらしい。
「その子は確かフランス語が得意なんだよね?だったら、教えてもらったらどう?」
と今迄何回言ったか分からない提案を、ここでもしてみた。
「うーん、、でも彼は英語以外は成績が良くて頭が良いのに、教えるのが下手なんだよね」
と娘。
成臍。
勉強がよく出来る🟰教えるのが上手 とは限らないわな。
娘曰く、いつも人に教えるようにして頭に入れている友達がいるそうで、彼女の教鞭を聴きながら自分も勉強をしているらしい。
その友達は大変優秀で折り紙なんかも得意なので、先日、日本の色とりどりの和紙のセットをあげたら喜んでくれた。
うーん、なんだろうなあ。
教え慣れてるっていうのもあるのかもしれないな。
娘も教えるのが上手いと思うよ。弟に教えていたり、試験前には私にもあれこれ教えてくれるしね。そうやって自分も復習してるんだね。
認める、認められるって大事だなあと思う。
倅の理科の先生は、質問をした生徒が答えられない時、1人だけ指名して、その生徒が代わりに答えても良いとしてくれるらしく、当てられた女子生徒が答えられなくて、彼女から指名された倅が代わりに答えたそうだ。
そうか。
という事は、少なくともその女生徒には、倅は理科が出来るって認められてるのかしらね。抜き打ちテストでは悲惨な点数だったのだけど(^_^;)
結局、自分を認める場所に、人は居心地の良さを見出すのだろうな。
お家大好きな子供等は、夫が働き私が待つこの家に、居心地の良さを見出しているのかな。
倅が色々あっても、前年度に比べ、比較的落ち着いて学校生活を送れているのは、今の学校に「居場所」があり「居心地の良さ」を感じているからだろうか。
来年度は娘の友達が、それぞれの進路に向かって旅立つ。
娘のようにギムナジウムに残る人ばかりではなく、長い期間、外国に留学したり、他の学校に転校したり退学したりと様々だ。
どの人も良い門出を迎えてほしいものだ。
◆◆◆おまけ◆◆◆
ネギの根を植えたら、芽が出てきた。