私自身が常識というものを余りよく知らないで育ったのだろうが、今考えたら恥ずかしい事が多い。
例えば、
夜にインターフォンが鳴るので、出ると、両親の知り合いだった。
「お父さんかお母さんはいる?」
「2人とも、今、おつうやさんの家に行っていて、いません」
あとで妹から
「お姉ちゃん、お通夜って人じゃないよ」
と突っ込まれた。
母が作る料理は確かに美味しかったのだが、豚肉と鶏肉が殆どだった。
すき焼きはおろか、ビフテキにもビーフシチューにも牛肉は登場しなかった。
いや、ちゃんと分かってるんだよ。
ビフテキやビーフシチューだって、何肉の事を指しているのかって、頭ではちゃんと分かっている筈なんだ。
それでも覚えている味は、牛のそれではなく、豚なんだよなあ、、、
娘が2人とも成長し、それぞれに家庭を持ってから、久々にこの話になって、2人で愕然としたのを覚えている。
母に指摘したら、ニヤニヤ笑うだけで、特にコメントはなかった。
そんな母に育てられた私達は、純粋な姉と常識人の妹になっていった。
小学校2年生のある日、当時遊んでいたリナちゃん人形が病気になった(らしい)。
それで私はリナちゃんを布団に寝かせ、額に濡らした布をあてた。玩具のコップにオレンジジュースを入れてあげた。
翌朝、起きてリナちゃん人形を見てみると、なんとコップのジュースがなくなっているではないか!
急いで妹を起こして見せた。
その後も妄想はどんどん加速化していき、感動した私は、遂に『人形は生きている』というタイトルで作文まで書いてしまった。
妹から「あれは自分がやった」と暴露されるまで、随分長い間、信じていたように思う。
作文には書いたものの、友達に興奮して言いふらしたりしなくて、本当に良かった。
きっと恥の上塗りになっていただろう。