光村図書の小6の国語の教科書に、『帰り道』という森絵都さんが書いた短編小説がある。
小4からの同級生の周也と律が、ちょっとした事で気まずい雰囲気になってしまう。理由は、「どっちが好き」という話を数人の男子としていた時に、律がなかなか決めれなくて、まごついていると、イライラした周也が、どちらも好きなのは、本当はどちらも嫌いなのではないかと指摘したのだ。
なんとか帰り道に仲直りをしようと試みる周也だが、なかなか上手くいかない。
そんな時、天気雨が降った。
それがきっかけで、また2人の関係は元通りになる。
律の視点から、そして周也の視点から語られる手法は、なかなかに興味深い。
選択を迫られても、どちらが良いか決められない時がある。
そういう人の気持ちを理解する事も大事だし、流れに乗って、好きか嫌いかを決める事もまた大事なんだろうと思う。
我が家の場合、どちらが良いか決めるのは娘の方が早い。
逆に倅は律みたいに、「どちらも好き」と言ったり「どっちかなあ」とモゴモゴ言って、結局どちらも決めれなくなる。
それに娘が痺れを切らしてしまうのだ。
ある時、娘がコイン投げを提案した。
どちらが良いか決めれない時は、コインを投げて、それに従ってみたらどうかというのだ。
『鬼滅の刃』でもあったな。
命令以外は全然決断できないカナヲちゃんに、カナエさんがコイン投げを提案するのだ。
それでカナヲはいつも銅貨を持ち歩くのだが、炭治郎は
「表が出たら、心のままに生きるんだ」
と言って、銅貨を投げる。
銅貨の表が出た事で、また炭治郎の優しさに触れ、カナヲも少しずつ変わっていく。
ある時、銅貨では決めれない出来事が起こり、その時に初めてカナヲは自分の意志で動くのだ。
娘曰く、コインを投げて落ちる迄の間に、人は自分で答えを出しているのだそうだ。
それで試しにやってみた。
例えば、上記の『鬼滅の刃』で誰を好きかという事になり、まず男子か女子かを決める為にコインを投げてみた。
「表が出たら男子で、裏が女子」
果たして、コインが出した答えは裏で、それにより、倅はスンナリと答えれた。
確かに、コイン投げは選択肢に迷った時に有効だ。
こっちだなと思っている事も、コインを投げて表か裏かで答えが出ると、自分の意思が明確になる。
その後、コインに従うか否かを、今度は自分で決めれば良いのだ。
◆◆◆おまけ◆◆◆
5月14日は母の日だった。
家族から花束とお菓子のプレゼント、それからカードをもらった。
今回は、毎週末に義母宅に夫が行っているのもあり、期待を全くしていなかったが、夜に素敵な贈り物をもらった。
倅から。
『き』が抜けているが、ご愛嬌という事でご容赦を。
本当は『お母さん』と書きたかったらしいが、『母』の字を忘れたらしく、ママになったらしい。
「母の日ってちゃんと書いているよ」
と指摘したら、「母(はは)」と「お母(かあ)さん」が繋がらなかったようだ。
ご存知の通り、1つの漢字には複数の読み方がある。これを習うのも一苦労。
外国人が外国で習う際の漢字習得の問題あるあるかもな。
ところで、3の「いいことたまに言う」ってなんだよw
ん〜、毎回良い事を言ってる筈なんだがな。変だなあああ・・・(遠い目)