夫が、「誰でも持っていって良いよ」と道端に置いてあったプラトンの『国家』を取って帰ってきた。
ドイツでは、家の前に箱やバケツに入れて、古本や果物(自分の庭でなった無農薬の林檎や梨やプラム等)を置いておく。
大抵【差しあげます】と書いている紙が貼ってあるので、勝手に持って帰って良いのだ。
さて、かなりの年季の入ったこちらのプラトンの『国家』。
1頁目から、鉛筆書きで線が引いてあったりと、元持ち主の勉強熱心さが窺えた。
ぶっちゃけ言うと、「理想の国家ってなんぞや?」っていうのを、プラトンがソクラテスになって、友達や弟子達の質問に答える一人称の問答形式で話が進んでいる。
この本でプラトンは、師であるソクラテスを殺した民主主義よりも、国家に必要なのは哲学的思考の持ち主、すなわち、哲人政治を行うのが理想と説いている。
個人的に読むモチベーションwになったのは、『指輪物語』の原型となるギュゲスの指輪の話が出ている事だ。
ギュゲスの指輪
羊飼いが地震で割れた洞窟に偶然入り、指輪を見つける。
その指輪をはめると姿が見えなくなり、外すと元に戻る。
この指輪を利用して栄華を極めるのだが、果たして誰にもバレず不正を行ったギュゲスの方が幸せなのか、それとも何も得ずに正義を貫いた者が幸せなのか。
そんな質問をプラトンの兄貴グラウコンが投げかけると、ソクラテスは
「所詮は、ギュゲスの幸せは見せかけに過ぎない」
とズバッと答えている。
そんな下りが2章辺りで出てくるんだよ。
人はほんの出来心で不正を犯してしまうかもしれない。
透明になれたらと考えると、ギュゲスほどではないにせよ、多かれ少なかれ、それこそ悪戯レベルなんかで、小さな罪を犯す人もいるかもしれない。
「いやいや、私は絶対そんな事をしない」
と強い決意で言い切れる人はいるだろうか?
むむむ、、、そう考えると難しい。
こういうのは理想であり、自分は理性的であるし、そうであって欲しいと心から願っているけれど、現実社会はそう簡単に悪は裁かれるという事はないのか、胡散臭い輩がノウノウと羽を伸ばしている。
だからやっぱり、個人個人、しっかりと勉強をして、智慧を身につけないといけないんだろうなと思う。
人間とはどうあるべきか、今ある社会で生きていく為に、何を身につけておくべきなのか、つまりはそう言った事をしっかりと学んでおかないと、自分も周りも酷い目に遭う。
そうならない為の智慧。
道徳とか哲学とか、そういう類。
実際、プラトンはアカデメイアという学校を作って、青年の育成に努めたわけだし。
さてさて、今の我々の時代はどうでしょうかね。
プラトンが見たらどう思うだろうか。