最近、娘はエーリヒ・ケストナーの小説『飛ぶ教室』に夢中で、それが昂じて、新しいキャラクターを作り出してしまった。
それは、勇敢で優等生な男子と、考察好きで読書家で絵を描くのが大好きな男子がコンビを組んで、様々なジャンルの小説(+挿絵)を書くというもの。
彼等が描く小説には、娘の創作の世界で今でも読み継がれるシリーズ物もあるそうで、それは彼等自身の冒険譚ともいえる。その証拠に、作家と挿絵画家の名前を少しモジって登場させてある。
それで、小説の中に出てくる主人公の名を、太郎(優等生)、一郎(考察好き)にして、ご本人達を勇太郎(作家)、考一郎(画家)と命名したら、娘から即効で却下されてしまった。
ところでケストナーの『飛ぶ教室』との出会いは、ひょんな事からだった。
娘は最初から、興味があったわけではなく、毎週末通うミュンヘン日本語補習校の図書室で、偶然に見付けた小説の挿絵が、かなり萌え度が高かった。
まず挿絵に惹かれて、そこから一気に読んだ。
ここまで読者(娘)を熱狂させた挿絵画家の功績は非常に大きい。
読み仮名が振ってあったのも幸いしたのだろう。時々悪戦苦闘しながらも、現地校にも持っていき、時間がある時に読んでいたようだった。
そして私に毎日、どれくらい読んだか、自分の好きなキャラクターがどんな事をしたか、とか、内容も含めて熱く語ってくれた。
台詞がうろ覚えになっていると感じたら、すぐさま本を取り出し、一語一句間違いないように注意深く辿る。
ケストナー含め、日本語訳をした翻訳者、そして挿絵画家、更には、この本に携わった全ての人々が、ここまで作品を大切に想って接してくれる読者がいると知ったならば、これ程喜ばしい事はないのではないだろうか。
読書好きでドイツ語や英語の文学作品はよく読んでいる娘であっても、実のところ、未だ原作を読んでいない。
ドイツでは『飛ぶ教室』は3回も実写映画化された。
その内の1つ(1954年)には、ケストナー本人も出演している。
それも娘は未だ観てはいない。
熱が冷めない内に、映画と原作をも掌握するのが良かろう。