現在、9年生(中3)の娘から、こんな質問をされた。
「お母さんは、人が話しているのを遮って、自分の話をしてしまうか。それともそれをされる方か?」
私は後者の方が多いと答えると、娘は
「私も」
と頷いた。
人が話し終わるのを待ちきれずに中断させて、無理矢理に自分の話に持っていってしまう人は、余程せっかちなんだろうか。また、どうしても話に入っていけなくてジレンマに陥ってしまう事が多いから、2人で会話をする方が私としては気が楽だったりする。
人は自分が嫌な経験をしたら、他人が同じような目に遭っているのを見ると、その人の気持ちを察する事ができるようになる。
娘の友達のS子ちゃんは比較的お喋りが苦手なタイプで、その分聞き上手ではあるが、時々話をしようとすると、お喋り上手な子がそのチャンスをかっさらってしまう。そして、結局は彼女の話を、誰も最後まで聞く事なく終わってしまうのである。
しかし、今回は違った。
彼女は頑張って最後まで話し通したのである。
それをずっと見守っていた娘は、S子ちゃんが話し終えた後に幼稚園時代に習った『会話の石』を持つ真似をして、会話を遮断しようとしたもう1人に向かって、笑顔で渡す真似をして、その後も3人で楽しく会話を弾ませたらしい。
幼稚園時代にこんな事を習っていたなんて知らなかった。
素直に流石だなと思った。
担任が綺麗な小石を『会話の石』に見立てて、園児達に『言葉のキャッチボール』を教えた。
1人が話し終わると、その子が次に話したい人へ『会話の石』を手渡して、会話をさせたのだという。そうやって子供達は『言葉のキャッチボール』を学んだようだ。
娘の幼稚園は隣街にあり(我が街には空きがなかった為)、小さな幼稚園ではあったが、大変素晴らしい保育をしてくれ、私は園に絶大な信頼を寄せていた。
それ程、娘の幼稚園は子供一人一人の発育を温かく、そして辛抱強く見守ってくれた。
ところで『言葉のキャッチボール』で思い出したのだが、ドイツ人同士の会話を聞くと、ドイツ語の響きから口論をしているように感じるが、本人達はケロッとしているのが印象的だ。
その事を当のドイツ人に話すと、自分もイタリア人同士がイタリア語で会話しているのを聞くと、喧嘩しているのではないかと心配になると言って笑っていた。
自分にとっては、イタリア語は重い雰囲気を軽くしてくれるような響きがあるので、意外だった。
人によって、言語の受け取り方も違うのだろうな。