ちりやま日記

ドイツで子育てのあれこれ、本やドラマや動画の感想等を綴っていきます。

お互いを知る事は大事かもしれない。

ちょくちょく書いている、犬の糞害の話。

飼い主の心持ち次第で、どうにでもなる事ではあるものの、こちらの地道な努力で、一進一退となっている。

が、昨日は酷すぎた。

 

眼科から帰ってみると、塀の傍に放置糞。

それから下校してきた倅の宿題を見ていると、電気がついているからか、ちらちらと室内を見る影が。

例によって例の如く、犬を2匹連れたトルコ娘だった。

剥き出しの花壇の前で立ち止まっていたから、気にはなっていたが、彼女の良心を信じてみた。

結果、裏切られた。

剥き出しの花壇と家との間には、白い丸石が敷き詰めてあるのだが、なんとそこに糞をされていた。

 

ああ、それで、そこに立ち止まっていたのか。

だからこちらを見ていたのか。

私が窓を開けたら、逃げる算段だったのだろうか。

 

はっきり言って、アスファルトより、土より、白い石の方が糞は取りにくいんだよ( *`ω´)

更に更に、塀の所にも、またしても放置してるしさ。

てめえの犬は一体何回うちをトイレに使えば気が済むんだよと、マジ切れ状態だった。

 

で、今日になって。

 

地元の小学校では、運動行事の為に、子供達は若干遅く登校となる。

夫を送り、娘を送ってから、ゴミを出したり、外を履いたりしていたら、トルコ娘が犬を連れてやってきた。

その時は、たまたま私はゴミを出している最中だったのだが、塀の外で立ち止まっている彼女と偶然目が合った。

それで挨拶をしてみた。

意外にも向こうも挨拶を返してきた。ずっとそこにいるので、犬が糞をやっている最中だと直感した。それで

「何をやってるの?」

と、話しかけた。そして少し塀から覗いてみたが、私の方からは犬が見えない。

それでもフレンドリーに『お願い』してみた。

「運子、取ってね(^^)」

「はい、取ります」

と即答していた。

「良かった、どうもありがとう」

その後、世間話をしてみる。

 

それで分かったのは、やっぱりトルコ人で、11歳で、よくあるトルコ名だった。

今は倅と同じ小学校に通っているが、9月からは、隣の中学校ではなく、別の学校に通う予定らしい。

将来は美容師になりたいと言っていたので、冗談まじりに

「私は上手く髪をゆえないんだよね。じゃあ、いつか、私は貴女のお客になるかもしれないね」

と話した。

 

ビニール袋を持ってきていなかったが、その後、どうするのかと様子を見ていると、犬を置いてビニール袋を持ってやってきた。

ちゃんと取ったので、こちらもきちんと礼を述べた。

 

本当は当たり前の話なんだけどね。

彼女の母親らしき人物は、散歩の時は、犬の糞をちゃんと取っているのも、私は知っている。

あの時、私が声をかけなかったら、今日のこの犬糞も、そのまま放置されていたのだろうか。

 

注意をすると、逆切れして、益々被害が出る事もある。

それで被害を受けているにも関わらず、特定されているにも関わらず、何もできないで、そのまま糞を放置している家も沢山ある。

夫や知人に相談しても、何も言わない方が良いと言われたし、実際に見たわけではないので、はっきりと注意する事はできないでいた。

 

彼女と話をするまでは、私もかなり切れていたし、今迄の事を考えると腹が立ってはいるのだが、今回は、自然の流れから話ができて良かったなと思った。

私は困っている、滅茶苦茶腹を立てている、という態度を、私はしなかった。

私が不愉快な気持ちでいる事は、彼女も知っていると思う。負い目だって合ったのではないか。

だから、いつも私を避けていたのだろうし。

 

なんというか、北風と太陽みたいなものであろうか。

果たして、今日だけなのか、それともこの問題がそのまま解決するのかは、本当に分からないけれど。私が見ていないと、またそのまま放置するようになるかもしれないし。

この子供だけではないので、キリがないかもしれないけれど。

 

その後、倅と2人で学校まで行く途中、隣のイタリア人宅で世間話をしてみた。

可愛いラッキードッグを触らせてもらいながら、テラスを改築する話を教えてもらい、

ガーデニングにも力を入れているので、通る度に目の保養になる。

 

そうこうしていると、倅のクラスメートが自転車に乗ってやってきた。

彼もまた登校中だったわけで、その後、3人でノロノロ歩きながら登校した。

このクラスメートはスイスからやってきたユダヤ系の少年で、地元のサッカークラブに入っている。

「クラスでも同じクラブに入っている子がいる」

と教えてくれた。

 

そんなわけで、今日は珍しく沢山ドイツ語を話した。

久々に話したから、なんだか変なドイツ語だったが、それでも満足な日だった。