先に書いておくが、討論の授業では、論破が目的ではない。
相手の主張に耳を傾けるのが大事であり、都合により自分の意に反した意見を述べる場合は、その者の立場に立って物事を考えられるようになる(客観的な考え方を持てるようになる)事に焦点が置かれる。
とは言っても、若い内は勝ち負けに拘ったり、論じる相手との相性もあり、実りのある討論にはなるのも難しいだろうが、それもまた、1つずつ学んでいけば良い。
昨日は子供達にとって、残念な日だった。
大人の自分でも、ついてない日にぶち当たると、かなりのダメージを受ける。
持ち前の自己肯定感の低さがここで倍増され、自分は駄目な人間だ、不幸だ、自分さえいなければ良いという風に考えがいってしまう。
自分の事もそうだけれど、家族が悲しい思いをしているのを知ると、本当に辛くなる。
寄り添ったり全力で励ましたり、また時には、耳を傾けるだけの方が良いのだろうと、その時その時の状況によって、対応も変えていくようにしているが、結局、どれが正解なのかは分からない。
それが分かる日が来るのは、恐らく、随分後なのだろうと思う。
娘のクラスで、濃厚接触者になった男子がいて、彼の不在中はとても静かだったそうだ。
というのも、この男子生徒が率先して、場を盛り上げていたのだ。
誰かが発言をしたら、必ず熱い拍手を送っていたのも、実は彼だったらしい。
それに気が付いたのは、少しの間、彼が学校にいなかった時だった。
誰かが彼の代わりをしようとしても不可能だった。彼でないと、場は盛り上がりに欠けるのだった。
良くても悪くても、どの人にも、どの状況にも役割があるのだと思う。
目の上のたんこぶ であっても、きっと何か意味があるのだ。
◆◆おまけ◆◆
娘も早く帰宅してきたので、近所でボルダリングをしてきた。
少しは気分転換になっただろうか。