私が中学の頃の話。
昔から受け身のような性格だが、放っておいても、少ないながら友達はできていた。しかし、それではいけないのではないかと思い、中1になった時、初めて自分から友達を作ろうと思い立った。
たまたま出席番号順で前後だった関係で話せたクラスメートがいて、それから親しくなっていったのだが、どうやらその子はクラスで嫌われていたようで、別のグループでは彼女の悪口を書いたノートの交換日記があり、私はそれに誘われた。
その子の悪口を書かないで様子を見ていたけれど、一向に終息つかず、どんどんエスカレートしていくから、勇気を出して「やめた方が良い」と、その交換日記帳に書いた。
予想していた通りの反応が返ってきて、それがきっかけで、私もクラスのほぼ全女子からシカトされるようになった。
不幸中の幸いで、もっと酷い苛めに発展する事や悪質極まるものはなかったが、その時、学んだのは
「苛められる側にも原因がある。どんなに正義であっても、苛めの対象になり得る」
という事だった。
確かにきついものがあったが、卑怯な奴等に負けるものかと歯を食いしばり、学校を休まなかった。親にも話さなかった。(親は10年後に、元クラスメートの親から事実を知る事になる)高校は希望通りの学校に進めたのに、反動のせいか、ほぼ不登校状態になってしまうのだが、それはまた別の機会に書けたらと思っている。
さて中3になると、私へのシカトも随分緩和されてきた。
クラスメートとも普通に話せるくらいになってきた。
元々苛められていたクラスメートは別のクラスになっていたと思う。しかし、苛めの首謀者である女子とは同じクラスだったが、何故か私に媚びへつらう時があった。
それでも1人でいる事に慣れてきていたし、その都度クラス替えがあったので、中1の一件を知らない人もいるわけで、そこまで孤独を感じる事はなかった。
そんなある日、家庭科の時間だったか、好きな人同士でグループになり、何かを作るという企画があった。
好きな人同士でグループになる、というのが当時の自分にとっては1番辛かった。
当然、私と組む人はいない。
緩和されたといえ、普通に話せるくらいになっただけなので、「空気のような存在のクラスメート」であって「友達」ではないから、皆、それぞれ友達を見つけて組むのだ。
そして楽しげに話しながら作業に取り組んでいった。
私はわざと寝たフリをして、そこに突っ伏した。
その内、涙が出てきてしまい、誰かが気付いた。
そして温かい言葉をかけてくれ、慰めてくれた。
その後の記憶は余り覚えていない。
多分、誰かのグループに入れさせてもらったのか、それとも結局、何もしなかったのか。
一昨日の土曜日の補習校開校日の娘を見ながら、そんな事を思い出してしまった。
今朝、2人で話せる機会があったので、具体的な名前を出して聞いてみた。
「AちゃんとBちゃんと距離があったようだけど、大丈夫?」
「分からない」
「貴女が好きだったCちゃんもいなくなってしまうものね・・・でも、Cちゃんとも距離があったんじゃないかなって思うんだけど、どうかな」
この3人と娘はよく一緒にいた。誕生会に招待してくれたり、お泊まりをさせてくれたりもしていたので、ありがたいなとは思っていたが、それでも時々、教室に行ったら、娘は誰とも話しておらず、私とばかり一緒にいたがった。
開校日、AちゃんとBちゃんは示し合わせたかのように似た服装をしていて、少なくとも私がいる前では、娘が挨拶して手を振っても無視していた。それが放課後も続いていたように感じた。
娘の表情は曇っていて、それで心配になって、さり気なく聞いてみてはいたものの、「眠い、疲れた、早く帰りたい」を連呼するだけだった。
Cちゃんのお別れ会が野外であったので、暫くは滞在せねばならず、Cちゃんが来ても、娘は少し離れた場所で腕を組んで見ているだけで、何も話していないようだった。
私が娘の傍にいると、Bちゃんが近寄ってきたが、結局何も言わずにAちゃんの所に行ってしまった。
「1人に慣れてるから、大丈夫」
と娘は言い、
「勿論、寂しいけど」
と呟いていた。
それで自分の中学時代の話を娘にして、「貴女は本当に強いね。でも何かあったら、ちゃんと言うんだよ」と言った。
勉強をする上で、友達というのはとても大きな役割を果たす。
お互いに愚痴を言い合いながら励まし合いながら、同じ目標に向かって進んでいけれると、これ程心強いものはないだろう。
しかし所詮人間は1人である。
途中で道は分かれても、自分の意思がそこにないなら、手を振って別れを告げた方が良い。それで友情が消えるなら、所詮はそこまでの関係だったという事か。
本当に信頼できる「真友」は、一生の内、1人でも見つかれば良いとすら思う。
勇気を出して1人で行動したから、得られる出逢いだってある。
子供達が思う「楽しい学校生活」が送れれば良いなと願っている。