子供等は現在、現地校のギムナジウムや小学校に通いながら、毎週土曜日には、日本語補修校に通っている。
それもあと1年半で、娘は卒業を迎えるようになるが、補習校に通って良かったと思えた事を1つ書こうと思う。
娘は小1の頃、学童で出会った1冊の児童文学から本の虫になった。
ギムナジウムに入学した時は英語で苦労したが、567禍から長期ロックダウンになり、自宅学習とオンライン授業がメインとなった時、Youtubeを観るようになり、興味のある動画が英語だったので、弟にドイツ語、ないし日本語で翻訳をしていく内に英語が得意になった。
その後は、ドイツ語だけでなく英語での本も難なく読むようになり、現在は、学校で英語で歴史を学んでいる。
そんな娘ではあるが、日本語に関しては、読書をするところまではいかなかった。
せいぜいドラえもんのようなギャグ漫画か絵本、もしくは生き物事典のような1つのテーマを2ページくらいでまとめられている本ならば、手にとって読みはするが、文学作品などは敷居が高すぎて、難しいと感じているようだった。
それでも読まないよりはマシかなと思って、これに関して強く言った事はなかった。
しかし、転機が訪れた。
偶然、補習校の図書室に入った娘はエーリヒ・ケストナーの日本語版の『飛ぶ教室』を見つけた。その挿絵が自分好みだったらしく、借りて読んでみると、面白かったらしい。
その後、我が家で別の翻訳者の『飛ぶ教室』を見つけ、それも読んだ。
訳者の違い、または方針の違いで、同じストーリーなのに、随分表現が変わるものだと興味深かったらしい。
更に、私が「参考にしてみれば良いかも」と提案した萩尾望都の『トーマの心臓』も読んだようだった。
同じドイツが舞台の、寄宿生活を行う制服を着た男子校生達の話となるので、良い比較となるのではないか。
『トーマの心臓』はBL要素があるので、苦手な人もいるだろうが、文学作品としても充分に読めると思う。
娘にとっては、生まれて初めての少女漫画だった。
話の構成、キャラクター設定が面白いと感じたようだった。
彼女のお気に入りのキャラクターはバッカスという上級生で、脇役ながら、主要人物達を見守る個性的で美味しいポジションにいる。
どの作品であっても、主要人物を好きにならない娘らしい。
こういった出逢いは、子供が補習校に通っていなければできなかったと思う。
また、幾ら親が機会を提供しても、子供が違う方向を向いている場合、補習校に通う事が苦痛でしかないだろう。
娘の場合は、最後まで通うという強い意志があったから、長い補習校生活の中で、自分の琴線に触れる本との出逢いがあった。
これからも、そんな出逢いを幾つも持ってもらえたら嬉しいものだ。