義母宅からの帰路の中、これまた恒例のように、私の鬱が爆発するかもしれない、とか後部座席にいる子供達の喧嘩が勃発するだろうと思いきや、意外にも大丈夫だった。
朝は娘が体調が悪かったが、昼ご飯を食べる頃には復活していた。
渋滞に巻き込まれ、途中雨が降ったり止んだりしていたので、運転する夫も大変だったと思う。
バイエルン州に入ってから、夫の仕事関係で立ち寄った場所もあり、結局家に着いたのは、随分遅かった。
夫が娘にフリードリヒ・シラーの詩をYoutubeで見つけてきて聴かせてくれた。
昔は、詩を暗唱していたらしい。
そういえば、日本でも読経とかありますよね。
百人一首を丸暗記したりもするよね。
昔、戦争で生き残った兵隊が自分の同僚が亡くなる時に、その家族の為に遺した言葉を全て暗記して、故郷に生還後に伝えたという話も聞く。
それは1つや2つではなく、時には数十個にものぼった。
人間の記憶力とは、時には異常な程の力を発揮する。まだまだAIには負けないくらい、人間の脳も鍛えればもっと進化するのではないか。
さてシラーから始まり、段々と夫が昔聴いていた歌や曲なんかも聴かせてくれた。
日本では馴染みの薄い曲ばかりだった。
その内、倅や娘が好きな音楽なんかも聴くようになった。子供達は古臭い両親の影響か、古い歌を好む時期があった。そんな歌を何曲か選んでいた。
そうくると、やはり調子に乗ってきてしまう。
「バックストリートボーイズの歌が聴きたい!!」
子供達も知っている名曲『I Want It That Way』を出して、3人で大合唱した。
終始、渋い顔をしていた夫の顔が忘れられない。
夫はこの手のアイドルが好きではないし、90年代にちょっと流行った歌を、私が知っている、子供達も何故か知っているのにも驚いたのだろう。
それでも2回も歌を聴かせてくれ、3人で大合唱をさせてくれた。
家に帰って、休暇前にあった耳鳴りはまだあるのか尋ねてみると
「バックストリートボーイズがコダマしている」
と冗談を飛ばしていたので、マシなのかも。
因みに、高血圧の方も休暇前に病院で診断してもらった所、確かに高血圧気味ではあるものの、まだ薬は処方されておらず、様子見段階となっている。
休暇中は毎日血圧を測ったが、薬を飲む必要はないくらい、落ち着いていた。
しっかり休んだからだろうか。
義母にも、カロリーが高い物を用意しないで欲しいと話し、夕食には今迄にないくらい、野菜と果物を毎回添えて出した。
彩りも綺麗だったからか、娘が喜んでいた。
ドイツの夕食は黒パンとハムとソーセージ、チーズが定番なので、義母宅に滞在すると毎回それに合わせていたが、義母もある程度は私に任せてくれるようになってきたので、バイエルンでいつも用意する夕食に似せた。
夫は夫で、大好きな牛乳を極力飲まないようにしていた。
もう1つ、私を嬉しくさせた事があった。
子供達がずっと手伝ってくれたのだ。
ベッドメイキングから食事の支度、私1人が今迄全てやっていた事を、子供達が言わなくても手伝ってくれるようになった。
お互いの負担が少ないと、こんなにも気持ちが楽になるのか。
義母から電話がかかり、とても感謝された。
今回は餃子と野菜スープを作ってあげたのも、彼女を喜ばせたようだ。
私は皮から作り、それを娘と談笑しながら餃子を作った。
義母は一部始終を座って見学していた。
時間がかかるから見なくても良いですよと話したが、興味があったようで、ニコニコ笑いながら見ていた。
そういえばドイツの中華料理屋では、餃子を見かけない。
というのも、餃子は作業工程に時間がかかるくせに、それに見合った金額が得られないから、作りたがらないのだと、中国人の店主が言っていた。
義母に
「料理って、準備にとても時間がかかるけど、食べるのは一瞬ですよねー。日本料理もそうだし、中華料理もそんな感じです」
と話したら、彼女も大いに納得したらしく
「ドイツ料理もそうだわ!」
と頷いた。
毎回、義母の料理の準備を一緒にしているので、その苦労はよく分かる。
ドイツでは昼食に重きを置き、そこにかける時間は大きい。
だからせめて私がいる間は、義母に負担をかけないようにと心がけてヘルプしているつもりだ。
義母が醤油もとても美味しかったと言っていたので、当然、置いて帰った。
料理上手の彼女の事だ。きっと隠し味で何かの料理に入れたりもするだろう。