ちりやま日記

ドイツで子育てのあれこれ、本やドラマや動画の感想等を綴っていきます。

倅、6歳

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倅が発達障碍だと判定を受けた時、「嗚呼、やはりそうか」と思うと同時に、本当なんだろうかという疑い。多分これは母親としての精一杯の抵抗なんだと思う。

倅は注意欠陥多動性障害と自閉症スペクトラムを併合している、らしい。

この二つはよく併合されて診断されるのだとか。要するに、割とメジャーな障害であり、年齢と共に落ち着くものらしい。

大昔は、発達障碍というのは子供時代のみ現れていて、大人になっていく内に消えてなくなるものだと考えられていた。

しかし昨今、それは脳の一部の欠陥で生じるもので、しかもそれは一生涯治る事はない「障害」だと言われるようになり、自分もひょっとしたらそうなんじゃないかと大人も診断を受けるようになり、大人も子供も発達障碍を抱えている人のなんと多いことか。

しかも60%は男性という、つまりは男性に多い障害なのだそうだ。

 

そういえば、名を遺す多くの天才は、こぞって男性である。

 

偉大な力を発揮できる代わりに、破天荒な生き方をする人の多くもまた、男性である。

発明王エジソンも神童モーツアルトも科学の天才アインシュタインも、何かしら可笑しな性癖があった。

小学校を退学させられたエジソンの才能を信じたのは、教育者であった母親だったという。

IT業界の某セレブだって幼少時代は母親が匙を投げるくらい難しい子供だったという話を聞く。

 

しかし、偉人にばかり目を向けるわけにはいかない。

何故ならば、多くの犯罪者もまた発達障碍を持っているという話も聞くからだ。

自分の子供が天才になるか否かは、親にかかっているということか。

子供にとって良い環境とはなんだろう。

倅が発達障碍だと診断されてから、私は発達障碍とそうでない者の違いを考えるようになった。

 

一見して同じに見えるのに、一体何が違うのだろう。

多くの親は言う。自分の子が発達障碍かもしれないと。そう保育士から言われたと。しかしそれ以上の事は何もしていない。小学校に上がって、自分の子は随分落ち着いた。嗚呼、結局関係なかったのだと安堵したと。

私と夫は小児科に相談し、病院を紹介され、そこで幾度となくテストを受けさせ、そしてようやく、倅の障害名に辿り着いた。それは正しい判断だったのだろうか。何度もこれで良かったのか自問自答の毎日だ。

倅がテスト期間として小児科の療育系病棟に3か月間通っていた時、バスの女性運転手が私に言ってくれた。彼女には4人の息子がいるが、長男と次男が発達障碍だそうで、長男は薬を服用しているという。しかし良い薬と良い医者に巡り合うまでは、本当に苦難の道だったそうだ。

その経験から、私達親に対しても、そしてバスに乗って来る沢山の子供達に対しても、とても愛情深く接してくれる。私も一時期、加配の先生になって、沢山の辛い想いをしている親子を少しでも助けたいと思っていた。

けれど、いざ倅が加配を付けた方が良いと言われるようになり、本当に必要なんだろうかと疑うようになってきた。

 

療育系病棟から元の療育園に復帰する時に、療育園の担任から、

「絶対に加配を付けてほしい。でないと受け入れられない」

と再三療育系病棟の専門医に電話があったという。その都度、専門医は

「そこまでする必要は全くない」

と言っていたが、半ば脅すように何度も申し出の電話がかかってきた為、

「療育園の部屋そのものが、倅が癇癪を起した時にクールダウンができないので、外に連れ出す大人が必要となる。その為に加配をつける」

という理由で加配がつけられるようになった。

それを私達が聞いたのは随分後の話だった。

 

しかし、わざわざ入学を一年遅らせて、その道の「プロ」が携わる療育園に通わせていても、担任との相性が悪いのか、とにかく悪目立ちして、加配がついているにも関わらず、何故か毎回電話がかかり、倅を落ち着かせてほしいと懇願される始末だった。