現在、日本語補習校では小3の倅は国語の教科書で、『モチモチの木』の音読をやっている。
一緒にやっている時、娘が小3だった頃を思い出した。
娘の学年では、音大出の元気が良い女性の先生が担任をしてくれた。
この人が素晴らしく敏腕で、どうやったら子供がモチベーションを保てるか、そして子供の才能を引き出せるのかに長けていたようだ。
補習校で絶大な人気を誇っていた彼女に、娘は新学期初日から懐いた。今迄は2学期以降にならないと、クラスに馴染めなかったのにも関わらずだ。
娘の場合、補習校の小3から交友関係が一気に広がっていったと言っても過言ではない。
それは娘のみに限った事ではなかったようだ。
事実、その年の娘のクラスの学習発表会も評判が良く、子供達は皆仲が良く、楽しい1年を過ごせた。
娘は未だに先生が発案した自作の漢字カードを持っているし、漢字カルタも持っている。
小さい頃の学習教材というのは、荷物がやたら多い。カラフルなものが多い。
これは小さな子供に限った事ではなく、文字を0から習い始める大人であっても同様で、その方が頭に入りやすいのだ。視覚や聴覚、そして触覚を使って、文字を覚えていく。
娘が歳を重ねるにつれ、ランドセルに入れるものが少なくなっていった。
いつの間にか色鉛筆は持参せず、黒鉛筆と赤鉛筆のみとなった。
さて小3の3学期になると、娘のクラスでは、なんとこの『モチモチの木』を朗読し、それを録音するという提案が先生から持ち出された。
子供達は事前に教えられた各パート毎に練習し音読した。それを先生が親の承諾を得て、録音した。
春休みには、先生から朗読の動画を送って頂き、これまた本当に驚いた。
一生懸命練習したのだろう。どの子供もとても上手に読んでいた。
ある時、先生に
「先生のクラスでは、意表を突くような学習方法なので、毎回、目から鱗になっています」
と話した事がある。すると
「このクラスなら出来そうだなと思ったら、少しだけ目標を高くしてやらせてみる事にしています」
と返ってきた。この、少しだけ目標を高くするのは賛成だ。
学習発表会では、娘のクラス以外は、どの学年もクラスも台本を持って朗読なり研究発表なりをしていた。娘のクラスでは、教科書の中にあった『虎とおじいさん』の朗読劇をした。担任は、生徒達に
「暗記できたら良いけど、できなかったらそれでも構わないよ」
とだけ言ったらしい。しかし結果は、全員が暗記して臨んだ。
娘のクラスを見ていた別の先生が、翌年の担任になった時に、前年度の事を思い出し、ここでも暗記してみようと提案し、見事に成功していた。
1週間に一度、しかも午前中のみしか会える時間がなく、練習する時間も殆どないに等しい子供達であっても、各自で練習して本番に臨んだのだ。
その力を信じる講師の熱意には脱帽する。
小6の最後には、南中ソーラン節を生徒主体のお別れ会で踊った。
娘は前列で踊っていたが、本番まで毎日、私も練習に付き合った。
そうやって補習校も中学部となり、もっと難しい内容を書いたり読んだりしている。
日本に住んでいる子供達のようにはいかないけれど、こちらにいる日本をルーツに持つ子供達も日本語脳と現地語脳に使い分けながら、切磋琢磨している。
こうやって学んだ事が、いつか花開いてほしい。
そして、自分の生まれ育った両方の国に誇りを持って生きていってほしい。