ギムナジウムに入学してから、というより、オンライン授業になってから娘は数学に悪戦苦闘するようになってしまった。
夫は仕事でなかなか娘の勉強を見てあげられないし、我が家は方針上、家庭教師や塾にも行かせる事はしないので、とにかく自力で這い上がるしかない。
しかし一度躓いてしまったものは、1人で立ち上がる事ができなくなる場合もある。
娘が私に、
「お母さん、数学を教えて」
と言ってきた。ギムナジウムになると、勉強が難しくなってくるから、お父さんに聞いた方が良いよと話すのだが、思春期に入り、父親をうざったくなる年頃のようで、話したくないらしい。
それでも分からないままにしておくのは嫌だから、こちらにヘルプを求めてきた。
丁度方程式をやっていて、あー、なんかやった事があるわ。と記憶を頼りにやってみる。ドイツと日本の教科書を見ながら確認していく。
若い頃、特に子供の頃にやったものというのは、忘れているようで忘れていない。
ちゃんと記憶の中に残っているようだ。
なので、少しトレーニングをしたら、すぐにコツが掴めて、また出来るようになる。
九九、自転車に乗る事、蝶々結び、そういった物は一度身についたら忘れない。
今はどうなのか分からないが、私が小学生の頃はピアニカや縦笛を学校で習っていた。
随分昔の街中インタビューで、ソプラノリコーダーで何か吹いてくれませんかと、街の人達に尋ねていた。
それに応じた人達が吹いていたのは、小学校で馴染み深い童謡が殆どだった。
確かに、もし私が即興で吹くにしても、童謡になる。小学校で習ったから指が覚えているのだ。
娘が小学生の頃に、縄跳びの宿題があって、10回できれば良い、みたいな感じだった。
それで2人で裏庭で練習した。
私が二重跳びやあや跳びなんかも披露すると(大してできるわけではないのだけど)、娘は目を丸くしていた。
ドイツでは、日本で当たり前のように課題として取り組んでいる事項が少ない気がする。
だから一部の子供しか楽器を演奏できないし、縄跳びなんかも、せいぜい普通に跳ぶくらいだ。
楽器を演奏できる子供は、習い事で楽器を習っている。
体操ができる子供も然り。
水泳は一応学校でも習うが、小学校3年生までに、初級レベルは事前に取っていた方が良いとされ、子供を習いに行かせる親が多い。
そして3年生からは、泳げない子、初級レベルの子、もっと泳げる子の3グループに分かれ、水泳の授業をこなしていくようになるのだ。
昔はそんな風には思わなかったが、実際のところ、日本の底上げ式の義務教育は悪くない。
始めはできなくても、終わる頃にはそれなりに形になっていく。
若い頃に習ったものは、大人になってからでも、何かの時に思い出して応用ができるようになる。
可能性は誰もが秘めている。
また義務教育の段階で、広く浅くで良いから、できるだけ多くの経験を積むのは悪いことではない。自分にはどの才能があるのか、自覚できるようにもなる。逆に、この才能はなくても、こっちは得意と逃げ道にもなる。
しかし義務教育でそのラインが低いと、出来る子と出来ない子の隔たりが大きくなってくる。
笛が吹けない、逆上がりができない子供は、ドイツには沢山いて、確かに生活に必要な事ではないかもしれないが、それでも難しい事を達成する喜びは自信に繋がり、気持ちを豊かにだってする。もしかしたら、自分はこっちの才能もあったかもしれないのに、それすらも気付かずに通り過ぎてしまう事にのなりかねないのは、非常に勿体ないと思う。
さて先程の方程式だが。
その後、夫と「ドイツと日本でも、やり方はあまり変わらないんだ!」と盛り上がった。
絶対に出来ないと思っていたけど、意外とできて、私自身も嬉しかった。
子供の頃、数学なんて必要なんだろうかと思っていたが、今、娘に教えてあげられるのは、きっとあの時に必死に勉強したからだ。
少なくとも自分の子供には、この知識は役に立ったな。