ちりやま日記

ドイツで子育てのあれこれ、本やドラマや動画の感想等を綴っていきます。

倅誕生の話

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倅誕生の際の因縁の礼拝堂

出典: Galluskapelle Winterberg 

撮影:Georg Zimmer 

 

今日は倅の9歳の誕生日だ。

本当に、よくぞここまで育ってくれたものだと感慨深くなる。

夫はよく

「本来なら、産んでくれた母親を祝った方が良いよね」

と言っているが、本当にそうだよなとも思う。

 

娘を体外受精で授かった私達は3年後に再度体外受精に挑戦した。

娘の時は幸いにして1回で授かれたが、3年経っているので、そう甘くもないだろうと考えていた。

それにしても本当に高額ですね。

高度治療は保険が効かないので、全額支払わないといけない。しかも前回よりももっと高くなっていて、請求書を見て、目を丸くしたものだ。

再挑戦したその体外受精は見事に撃沈し、期間を開けて次回に挑もうとして、再度病院を訪れた。エコーで確認すると、何かが見えた。医師が慌てて

「これで体外受精したら台無しになる。もう1〜2週間くらい後にまた来て」

と言われ、予約し直した。

再来院して、エコーで確認した後、満面の笑みを浮かべた医師が

「おめでとうございます!妊娠してますよ」

と言い、私に握手を求めてきた。私は狐につままれたような顔をしてしまった。

まさか妊娠しているとは思ってもいなかったからだ。

という事は、前回来院した時に見えたアレは、妊娠超初期になっている状態だったのかな。自然妊娠は無理だと思っていたのに。

とにかく、医師が見つけてくれ、次回の体外受精をしなくて済んだので、倅は命拾いをしたわけだ。

携帯ですぐに夫に妊娠を告げたのが、その時、彼は3時間かけて赴任先に赴いている最中で、高速道路の脇のカトリックの山岳礼拝堂で祈りを捧げていた。

礼拝堂に置かれている聖書を読んでいた時、鐘が鳴った。その直後、私から妊娠を告げられ、不思議な気持ちになったそうだ。

 

割と順調にいっていた妊娠期間だったが、後期に入り、切迫早産になりかけ、その年の年末は病院で過ごした。早産を避ける為、娘をアルペン地方に単身赴任中の夫の元に預けなければならなかった。

娘がその街の幼稚園で知恵熱が出たようで、夫は3時間かけて、こちらに連れて帰ってきた。

その1週間前に娘は肺炎でこちらの街に入院していたので、その頃にでも出産となるかと思いきや、結局、持ち堪えた。

夫は

「あの時、もうちょっと長く入院していても良かったのに」

とぼやきながら赴任先に帰っていった。

その夜、娘を寝させて、私の好きな『クリミナルマインド』を観て、丁度0時になった頃、破水した。それからまた夫に電話をし、娘と一緒に病院にタクシーで行った。

夫はまたしてもトンボ帰りをしなければならなかったが、どうしようもない。その病院は子連れ入院ができないし、12歳以下は立ち会い出産ができない事になっているので、夫が来ないわけにはいかなかった。

 

娘の時に空きっ腹で出産をしたのが辛かったので、今回はしっかりとご飯を食べた。(後で驚かれたが)

今回は夫はいないので、私1人で出産したが、無痛分娩を希望したのに、助産婦が「自然が1番」の人だったようで、アレやコレや言われ、結局今回も普通分娩だった。

それで大声で唸っていたので、病院側は大抵、無痛分娩を希望してやっていたようで、後になって

「だからあんなに唸っていたのか!」

と驚かれた。

しかも切ってくれなかったので裂けたわよ(涙)

因みに倅は頭が大きすぎて出にくかった。まあ、娘が小さく生まれたからな。

しかも「オギャー!」がなかったので、

「どうして泣かないんだ!?」

と私が言った途端に、おお、そうだった。忘れてた。ごめんごめんというように、元気よく泣き始めた。やれやれ

 

出産が終わり、夫に電話させてもらった時、私は感激の余り泣いて日本語で生まれたと言ったからか、夫は勘違いして、赤ちゃんは死産かと思ったらしい。すぐに助産婦さんに代わり、夫も事情を聞いて、胸を撫で下ろした。

 

他にも色々な話があるが、それはまたいつか書こうと思う。

 

昨夜、倅はソワソワして眠れなかった。

今朝も娘がオンライン授業があるので、大急ぎで皆を起こし、誕生日の歌を歌ってケーキを食べ、プレゼントを渡した。

 

倅よ、お誕生日おめでとう。